ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

学問の使い方

2019.01.02 Wednesday 11:26
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    大学時代から、祖先が学んでいた「水戸学」について、チラチラとつまみ食いして大枠を知ってたつもりでいたが、昨日0時になるまで、暇つぶしに本屋で見つけ買ったこの本を読んでいたら、自らの浅学に恥じてしまった。

    西尾先生でさえも、全てを知ることは一朝一夕ではできないと本の中で書き記されているが、まさにそうだ。

    我輩が「知ってた」と勘違いしてたのは、いうなれば、砂糖菓子の表面にある粒を、ショーケースからただ見ていただけに過ぎなかった、それほどまでに深く、複雑で、儒教や漢文が現代風に言えば「OS」として個人に備わっていなければ、とても学びえるものではなかった。

     

    とはいえ、我輩は何も、「水戸学」を一から学ぼうとは思っていない。

    多くの歴史学者が研究し、現在でも茨城大学を中心に、各種講座が開かれている。

    我輩が謎だと思ってたことは、なぜここまで激しい内ゲバが行われ、多くの人材が消えたのか。

    その一方で、戦前であれば宮内省、現在の宮内庁において、水戸藩の子弟が今でも一定の影響力が何故あるのかということだ。

    それば「水戸学」にあるのか。

    明治天皇が水戸まで行幸された際に、「大日本史」を中心とした水戸藩の勤皇を嘉せられた。

    それを理由とするには、あまりにも単純すぎる。何せ諸藩もまた、勤皇であったからだ。そして、その思想は確かに、「水戸学」に基づいたものであった。全国の秀才達は、一種の聖地として、水戸を訪れ、長期短期問わずに勤皇の意義を叩き込まれた。

     

    この本の中で、悲劇のはじまりは、所謂「後期水戸学」における、藤田幽谷(東湖の父)と立原翠軒との「大日本史」編纂における争いにあった。

    内容については割愛するが、結果として立原は負けた。その後、藩命により、徳川家康の功績について「垂統大記」編纂することとなる。

     

    既に出自から、藤田と立原は対立するように運命づけられていたような思える。

    翠軒は代々水戸藩藩士で学者の家系。父は水戸藩彰考館管庫として仕えていた。

    一方幽谷は、元々古着商藤田屋の次男だった。幼少より学問の才覚があり、翠軒の弟子となり、後に彰考館として藩士になった。

    代々武士か、実力で武士になったか、面白いことにこれが、後の明治維新の写し絵となった。

    よほどの才覚がない限り、支配階級としての武士になれない、そういう制限をなくし、意欲と人並外れた記憶力があれば、誰もが軍人、学者、教師にもなれた時代の移りに、「水戸学」における内部抗争に、それを見て取れる。

     

    敗れた翠軒は、勤皇から距離を取り、徳川幕政を絶対の「善」とする派を形成する環境を作った。

    水戸藩からすると非主流であるが、幕府からしたら喜ばしい存在であった。

    何せ、藩ができてから、水戸藩には「何かあれば幕府ではなく朝廷につく」というドグマが存在していた。

    光圀公と烈公の二人の強烈なキャラクターは、幕府にとっては文字通り、目の上のたんこぶ...しかし、御三家であるから、口出しできない面倒さがあった。

    そのような藩風において、「何かあれば藩ではなく幕府につく」という派閥ができたことは、幕府の意図の通りに水戸藩を動かせるということとなる。幕末の「諸生党」の卵は、こうして生まれた。

     

    「水戸学」は前述の通り、儒教、とりわけ朱子学が軸におかれていた。

    我輩は長らく、「水戸学」と「国学」を同義に考えていたが、そうではなかった。

    「国学」は本居宣長らが、古代中国の思想(「からごころ」)を排除し、古来日本にある「もののあはれ」「やまとごころ」を探るものであるが、「水戸学」は他の考えを徹底的に排除する狭量な朱子学を軸にし(それが後の内ゲバの元ともなった)たことに違いがあり、それが悲劇のはじまりでもあった。

     

    「大日本史」を編纂する理由として、光圀公が、日本の歴史が古代中国とごちゃまぜになってたことへの憤りから...とされてるが、本当かどうかわからない。

    ただ水戸藩の「幕府より朝廷」という開藩の思想から、経済状況を度外視してでも、その編纂を始める運命にあったのは確かだ。

     

    彰考館で発生した、静かな分裂が、のちに多くの人材を失わせることになった。

    明治政府は薩長が支配することになった。

    会津藩は没落したが、子弟達は切歯扼腕し、新しい時代において新しい名声を得ることとなった。

    会津藩の幕末維新は悲劇という言葉しかないが、その一方で、藩全体が「義」を貫くことで一致したことに、後の多くの子弟たちの活躍を見ることができた。

    とりわけ我輩が一に尊敬する柴五郎翁は、会津藩の「義」、日本人の「義」を体現し、日露戦争の勝利のきっかけを作った英雄として崇めている。

    だが、水戸藩にはそれがなかった。

    一致できなかった。

     

    しかし、明治政府において、水戸藩とその子弟は、宮内省にその存在を大きくすることとなる。

    最近になって、ある人物がそれに深くかかわってたことを知る。

    そして調べれば調べるほど、血みどろな状況において、確かに生き残った多くの藩士たちがいるという事実を忘れてはいけない。

    その人物、そしてその人物と一緒に働いてた藩士達(その中に、直系の祖先がいた)は、「水戸学」の主流にいたが、決して出来が良いわけではなかった。

    思想はしっかりと身につけていたが、それをそっくりそのまま使い、先鋭化することは決してしなかった。

    大小を帯びていたが、抜いて斬りあうことをしたくない、ある意味臆病な人たちであった。

    「勤皇」が全てにおいて第一であったが、政治的に現実的な人たちであった。

    敵や味方という概念はない、公平に人付き合いをしてた人たちであった。

    その働きを知られていなかった、あるいは軽く見られてたから、狙われるようなことはしなかった。

     

    学問の使い方を知ってる人たちだった。

    根源の精神は学ぶが、現実社会の動きに従い、現実的に生きる。

    自分の向き不向きを、上から客観的に見ることができる。

    不思議と強い共感を得られる人を知った。そして、生き残った人たちが、見えないところ(宮内省)において奉職した理由も、頷ける。

     

     

     

    少し、この人について、調べてみたい一年である。

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    抱負は一つに

    2019.01.01 Tuesday 16:11
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      お恥ずかしい話、寝坊してしまった。

      日の出30分前に目が覚め、慌ててホテルから飛び出し、海岸線まで行くとギリギリ日の出を仰ぐことができた。

      年齢なのかな…それにしても。

      本来は歩いて30分のところにある小さい祠のある海岸線で酒占いをかねての初日の出だったのだが、まあ、無事に見ることができて良かった。

       

      年齢だな。うん。

      体力気力ともに、なかなか「えい!」と行けるようにはならなくなってきたのは確かだ。

      だから今年の抱負は1つだけにする。

      昨年は新しいことを試みようとしたが、失敗した。

      最初はうまく進めてたけど、途中からいらぬ疲労感に見舞われた。

      そして、あまりにも「新しい」ことだった。

       

      「今持っているスキルの範囲において、そのスキルを深める、もしくはスキルに深く関連したものを始める」

       

      これが我輩の今年の抱負だ。人生の折り返し地点をとっくに過ぎた者として、これが無難なことであろう。

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      iPad PRO11

      2018.12.31 Monday 00:11
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        JUGEMテーマ:iPad

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        買ってしまった...

        SurfaceGOのLTEをずーーーーーっと待っていたのだが、個人向け販売が結局「お流れ」になったというのを、ヨドバシカメラの店員さんがこっそり教えてくれてね...

         

        まさかこの年齢で、またアップル社の製品に手を出すとは。

        コナミに昔、在籍した時、アップルの壊れっぱなしのLCを押し付けられ、酷い目に遭ったから、あまり良い印象がない。

        というか、あの頃において、会社用にLANに全部くっつけて、サーバーまでアップルのソレで、頭おかしいだろと今更思うわけだが、まあ、どうでもよい昔話だ。

         

        さて、iPad PRO 11...

        色々と思うことがあって、購入した。

        会社での色んなルーチンを、何かに一本化したかった。

        Surfaceにしたかったのは、慣れているWindowsの環境だったから、てか理由はそれだけだった。

        メモとかいちいちノートPCを持ち運んだり、キーボードで用事を作って送るのではなく、ささっと書いて送れば…ということでタブレットが欲しかった。

        イントラの改訂で、流れとか仕様を手書きで書けば、上長にも分かりやすくなると考えた。

        ASUSのAndoridのタブレットがあるが、画面がやや小さく、手書き対応やオフィスワークには苦手な仕様となっている。

         

        直観的に、思いついたことを書きとどめ、どこからでも引っ張り出せる環境が個人的に欲しかった。

         

         

         

        他のブログなどで、開梱の儀とかあるので割愛するが、一言…

         

         

         

        もっと早く、買えばよかった。

         

         

         

        開いたらパっと起動。

        顔を認識する機能らしい。完璧ではないが、だいたい8割がた、ストレスなしに直ぐ触ることができる。

        キーボードカバーは買わなかったが、画面上に表示されるキーボードでも、そんなにストレスなくブラインドタッチできる。

        アプリの整理は意外と簡単、いや、Windowsのソレよりも分かりやすい。だいたい直観で、長押しすれば何とかなる。

        何よりも感動したのがペンの書き心地の良さ。

        紙と同じ感じの防護シールを張ったのだが、なにこれ…もうシステム手帳、いらねー。

        Twitterで友達になったドクターメシア君に教わった無料の絵描きツールを入れたら、

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        いやもう、スラスラ、紙と鉛筆と同じじゃないのさー。

         

        ...不自然な構図?

        うん、実はR15で、下半身が(ry

         

        不憫なiPadProよ…我輩が持ち主になって、最初の絵がコレだとは…

         

         

         

        年が暮れていく。来年から、楽しくなるね。

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        21世紀の「沈黙」

        2018.12.24 Monday 11:53
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          JUGEMテーマ:ニュース

           

          日露戦争前後において、敵国であった帝政ロシアは、有色人種の国である日本の野蛮さを徹底的にアピールすることで、国際世論の支持を取り付けようと躍起であった。

          一番に言われたのが、キリスト教世界とそれ以外の非文明国との戦いであるという点であった。世界史から見れば、19世紀後半は、帝国主義時代の爛熟期にあたる。宗教革命の後に、「福音を全世界に」という大義から、イエズス会は「世界(それは欧州の観点からでしかないが)」へと飛び出し、情報をかき集めた。それらの情報から、弱いとされた地域を「大義」の下、武力によって次々と領土の一つへと堕していった。

          やがて欧米列強は、産業革命によるパワーバランスの逆転に成功し、強いと思われてた地域をも、自らのものへとしていった。

          それらを現在の価値観で、善悪を判断するのはあまりにも愚かしい。現在の道徳倫理で、過去を判断するのは、現在の刑法で過去の戦国大名を裁くことである。

          その同じ時代において、同じ時代の人による批判があるのかどうかが重要である。

          スペイン王国による過酷なインディオ統治に対して、同時代人のドミニコ会士、ラス・カサスの訴えがあったことに、「人が人を食う」時代において、辛うじて現在にも通じる人倫があったということに、希望を持つことができる。

          ただ、そのラス・カサスでさえも、あくまでもカトリックからの観点から離れず、それ以外への不寛容が見られることにも留意しなければならない。

          そのロシアのプロパギャンダに対して、明治政府は、ロシアこそが野蛮であると世界に向けて反論した。

          大日本帝国憲法では、社会治安を脅かさない限り、宗教の自由は認められている。ちなみに日露戦争開戦時、信じられないことにロシア帝国には憲法や、それに類するものはは存在していなかった(ロシア第1次革命後に、国会の力を削ごうと、憲法にあたるロシア帝国国家基本法が1906年にやっと定められた。つまり、明治政府よりも遥かに遅れてた)。そして、ロシア正教会は国教であったことから、異端とされたもの、異教(イスラーム、仏教)は軽んじられ、弾圧された。

          日本とロシアを比較するに、宗教の自由を認めることにおいて、どちらが野蛮であるのかを、言と強くして世界に発信した。

          これが日露戦争の勝利へと繋がったとは考えにくいが、個人の内面に「良い」ものへと導く「信仰」の「自由」の意義を、1941年に米国のルーズベルト大統領が宣した「4つの自由」より半世紀弱前に、明治政府が訴えてたことを我々は知るべきである。

           

          現在、「信仰の自由」を、我々は当たり前のように感じているところがある(無論、オウムや統一教会等のような反社会的勢力は、宗教団体ではない)。

          しかし、国連加盟国の中で、これを享受している国は、半数にも満たない。

          無論、そこにはいろんな理由がある。

           

          歴史やその建国の過程から、単一の宗教以外を認めないケースは、中近東で多く見かける。イスラーム諸国において、その土地、その国民の繋がりから、それ以外の選択肢がなかった、あるいはその宗教が拠り所となって独立したという事例が殆どだ。異教徒が入り込む余地が最初からない。

           

          だが一番問題なのは、個人の信仰を最初から否定する国だ。

          たとえそれが商業化されたものであっても、それを普通に祝い、楽しむことを否定し、弾圧する国家に同調することができるものだろうか?

           

          中国で本当に「クリスマス中止のお知らせ」 警察「クリスマスしてる人を発見したら通報するように」

           

          実はこれ、数年前から話題になっている。

          が、去年までは記憶の範囲において、クリスマスにかこつけた贈賄を防止するという後付けの理由があったが、今年から明確な「弾圧」となった。共産党の隷属化にない「地下教会」に対する「弾圧」が激しくなっている。

          こういう事例が後を絶たない。

           

          だが日本のキリスト教諸教会は、何も言わないでいる。

          まさかとは思うが、悪魔とキリストへの信仰は、両立できると思っているのだろうか。

          いや、思っているだろう。

          彼らの殆どが、日本を「悪魔」だと信じ込み、日本を潰すことが救いだと思っているところがある。

          だが、中国における同じ信者たちに対して、「沈黙」を決め込んでいる時点で、「悪魔」は自分たちであるということに気づけないでいる。

          ラス・カサスも呆れている。

           

           

           

          日本の諸教会から離れたところから、メリークリスマス。

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          徒然と...

          2018.12.23 Sunday 20:15
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            JUGEMテーマ:日記・一般

             

            今年最後の平成の天皇誕生日。

            感慨深いものがある。

            御譲位は江戸時代まではごく普通のことであったが、明治政府はそれを止めた。

            メリットデメリットはいろいろとあったが、あえてそれを止めた理由というのは、あまり判然としない。

            我輩もてっきり、皇太子殿下による「摂政」が行われるとばかり思ってた。

            が、これも御英断だ。ただただ、陛下と皇室の弥栄を祈る。

             

             

             

            大掃除をしたのだが、面白いことに気づく。

            昨年から、実際のモノを持たない生活を続けてきた。

            本が欲しい場合は、キンドル等で購読。あまり読まなくなった本については、電子化しまくり。

            服を買うのではなく、服を直して着る。もう着ることのない服については売る。安売りの際に買ってたものほど、安っぽさから着ないことに気づいた。

            冷蔵庫が故障したことで、150リットルの小さいのしたが、余計なものを買うということがなくなった。忘れたものが腐って捨てられるということもなく、また面白いことにダイエットにつながった(冷蔵庫を開けて何かを食べるにしても、モノがないから)。

            日常の消耗品を、隠すのではなく、普段から見えるところにわざと置く。たとえば市指定のゴミ袋を戸棚にしまうのではなく、トイレの棚など、見えやすいところに保管する。そうすれば、不足したか否かを意識し、余計なものを買う必要がなくなる。

            DMなどの手紙について、必ず目を通すように習慣づける。面倒だとそのまま放っておかれ、気づくと結構なゴミの山になったりするし、重要な内容であれば後悔する。

             

            これらのおかげで、いつもであれば大掃除の際に、ゴミ袋の山ができるが、今年は2袋で済んだ。

            「シンプルライフ」というのではなく。

            生活を軽くすること、我輩の場合、「ウェイトセーヴィングライフ」を提唱したい。

            「シンプルライフ」とか、モノを持たない生活というのではなく。

            電子化で置き換えらえるモノを積極的に置き換え、無駄なお金を失わず、いつもの生活を続けるようにするという考えだ。

            部屋に何も置かないことを自慢する連中と、一緒にしては困る。我輩、あーゆーの好かん。

             

             

             

            今の会社でちょっと変わった仕事を終えた。

            詳細は流石にここでは書けないが、おかしな話、まっとうなサラリーマン生活を送ってた人には、まず無理な内容だった。

            逆に、20年以上、ヤクザそのものな世界でメシを食ってた我輩だから平気でできる。

            あ、誤解せんように。

            コンプライアンスがどうたらという、そんな危ない内容ではない。

            ただ単に、ある社員が(ピー)して(ピー)で、そいつが残した(ピー)に関してどうしても(ピー)ができず、我輩に対して(ピー)(ピー)(ピー)(ピー)で、以前、ゲーム業界でいろいろとお願いしたアメリカの(ピー)

            お願いしたら、(ピー)を送ってきて(ピー)(ピー)(ピー)(ピー)(ピー)(ピー)したらできたという話。

             

            察してください。

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

             

            また一週間先だけど、来年の抱負を一つ。

            今の会社、とにかく暇。

            社内ニートでもない(それであれば、別の意味で問題だ)。

            ただ、会社でのことは、我輩にとっては「仕事」ではない、ただの単調な「ルーチン」の繰り返しにすぎない。

            何もないところから、なんとかして「1」を作るのが我輩にとっての「仕事」だ。

            それ以外は、時間を如何にして省略するかが重要な「ルーチン」だ。

            そんなわけで、関数組み込んだり、いろんな外部サービスをこっそり仕込んだりしたわけだが、そのため、何もすることがなくなったという。

             

            自宅に液晶タブレットがあるが、外出や社内用に、いっそのことiPadを買って、「ガルパン」の某キャラのえろえろな同人漫画と、むかーし、友人らとTPRGをした際に作ったキャラでオリジナル漫画、描こうと思ってる。

            Surface?

            最初、そっちにしょうと思ってたが。LTEの個人向け発売が不明になり、あきらめたよ。

             

             

             

            さて、初日の出用の日本酒、買ってくるか。

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            「私小説」の考えか?

            2018.12.17 Monday 10:15
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              JUGEMテーマ:YouTube

               

              長々と白河会津の旅行について、駄文を書いてきたが、ちょっとここで一休み。

              いやね?以前からどうしても気になってたことがあって、備忘も兼ねてここで。

               

              Youtuberというのがある。

              プロ活動している、個人レベルで(中には法人を立ち上げてるのもいるが)大金稼いでる(本当かどうかは知らないが。ゲーム業界で、その手の話を聞いてたが、殆どが嘘だったので)とかの話はよく聞く。アマチュアで活動しているのもいる。海外を見ると、毎日更新しているYoutuberチャンネルもあり、我輩は毎回チェックしている。

              蛇足だが、お気に入りは以下の通り:

               

               

              Townsends

              開拓時代から18世紀にかけてのアメリカ料理を、当時の恰好と台所用具で再現するチャンネル。丁寧な英語で非常に面白い番組だが、どう見ても美味しくない料理を作り味見する際に、「うん、これは大変に興味深い味だ」と言って、二口目を試さないという細かい演出がこれまた可笑しい。

               

              Meet Arnold

              アーノルド君に科学的な実験(?)を施して、何回も死なせるというチャンネル。「やめて!アーノルド君のHPは0なのよ!」と腹筋を引き締めたいのであれば、お勧めかな?

               

              日雇礼子のドヤ街暮らしチャンネル

              外部者ではなく、リアルに40年以上、大阪西成のドヤ街に暮らす日雇い労働者のヴァーチャルユーチューバチャンネル。ギャグセンスは流石大阪。でも、端々から知ることのできる、とても21世紀の日本とは思えない環境に、慄然とする。あの地域、結核の危険地帯だったとは。

               

              Shawn Woods

              牧場を経営しているウッドさんが、古今東西のネズミ捕りを「暮らしの手帳」しているチャンネル。日本製のネズミ捕りかご、数千年前のエジプトの罠の再現など、ネズミの生態やそれに対する人類の答えが解説され、非常に見ごたえあり。一番簡単で安いのは、水張ったバケツなんだねえ。

               

               

               

              いや、別にどうこうというのではない。

              国内のチャンネルと、海外のチャンネルを見比べてみて、一点、気になることがあった。

              双方比べると、「日常」から切り離された演出の有無が見て取れるのだ。

               

              国内のチャンネルを観ると、特に大手(?)と呼ばれるのを観ていると、「日常」の「におい」が極めて強烈だ。

              普通のソファから。

              自室から(背景を何かで隠しているが、それさえ100円ショップとかで適当にごまかしたもの)。

              横長テーブルに並んでる、ただそこから。

              スタジオっぽい所のもあるが、洗練からほど遠い、配信者が「見せる」ためではなく、配信者が自己の都合で作られたような雰囲気が強く感じられる。

               

               

               

              2003年の映画「グッバイレーニン」を思い出した。

              内容は割愛するが、偽のニュース番組を作る際、「それらしい雰囲気」を出すための工夫を考える主人公たちの行動が大変面白かった。政府機関からの説明では、図書館で(背後に多数の書籍を並べて、「それらしく」)、キャスターは背広(統一ドイツで既に売られていないダサい背広を上に着て、下は短パン。とりあえず「それらしく」)、タクシーの運転手をしてた旧東独の宇宙飛行士を見つけて、軍服を着させ、新しい書記長となって「東ドイツは西ドイツを統一した」という告知するシーンを、まさに「それらしく」撮影…。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              とか

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              とか

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              シンプルにこういうのも。

              無論、それぞれのチャンネルの性質や内容によって、それぞれの見せ方に違いが出てくる。

              我輩は甲乙を言ってるのではない。

              ただ、日本のチャンネルは、その出だしにおいて、わざと陳腐にしているのか。

              だとすれば、その理由は何なのか。

               

              日本文学において「私小説」というジャンルが明治期より強い人気を博していた。

              小説家自身の生活や体験を、エッセイではなく、別の人格を有したキャラクターに置き換えたもので、志賀直哉などがその代表例だったとされる。ちなみに同時代の対極者は芥川龍之介。

              他人のプライバシーに踏み込むのは場合によっては犯罪であるが、それらがあいまいだった時代、あの「先生様」が読者と同じ人間でしかないという「安心感」と気安い「同情」から、日本文学の(今に至るまで)主軸であり続けている(我輩は大嫌いだが)。

               

              日本国内のチャンネルは、もしかして、こういうスタンスから、わざと「日常感」から切り離されないコンテンツを作っているのだろうか。

              Youtuberは視聴者に対して

               

              「おれ、君らと同じだから」

               

              という「安心感」を与えて、注目を引こうとする考えがあるのか、あるいは無意識にやっているのか。

              確かにブログやTwitterよりも、動く「本人」が出てくるわけだから、とかくやりがちな過剰な演出よりも、一定の好感を得られるかもしれない。

               

               

               

              でもね、音声、よく割れてるから注意してね。

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              日本式サラリーマンの原点

              2018.12.16 Sunday 20:46
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                JUGEMテーマ:旅行

                 

                会津は戦国時代、蘆名家の領地であったが後に上杉家、そして蒲生家によって大方の形ができあがった。

                しかし蒲生家のシステムは、戦国の血なまぐさい臭いを強く残したものであった。

                戦場で活躍した家臣に対して、高い石高を与えるのは、当時としては当たり前のことであったが、徳川幕府による文治政治では、損得勘定での派閥を生み出してしまう元凶となる。

                その例に漏れず、会津蒲生家は当主秀行が亡くなった後、内紛が起こり、金発掘で財政こそ潤っていたが、続く当主が次々と夭折し、最終的に改易となってしまった。

                続いて、賤ヶ岳の七本槍の一人であった加藤嘉明が入ってきたが、二代目明成の判断ミス(正室に気を使いすぎたことと、出奔した家臣を追討し暗殺したこと)によりあっけなく潰された。決して暗愚なお殿様ではなかった。実際、会津で発生した地震の復興に尽力し、我々が知る若松城を改築した功績は、素直に認めるべきである。ただ思うに、彼もまた、戦国の遺風がまだ残っていた家臣の中に振り回されたことと、徳川秀忠のように、正室に頭が上がらなかった態度から、「暗愚」と決めつけられてしまったのだろう。

                 

                そして、我々が知る、会津松平家の時代となる。保科正之の登場だ。

                徳川家光の異母弟という、当時としては珍しいことではなかったが、トップの政治を司る一族の中で、慎重に慎重を重ねて施政者としての人生を送ったことに、気の休まることはなかったかもしれない。

                何せ、異母兄の家光は、その弟・忠長を自刃に追い込んだ。

                家康の孫ではあるが、あくまでも「保科」である。長幼の序以前に、血族の末端にある者として、どのようなことがあっても、家康とそれに続く将軍家を守ることが、自らの身を守ることにも繋がる。

                そういう結論に至ったと、意地悪く考えてしまう。

                だが、「家」を残すことが絶対という武家社会において、自分を守る存在に取って代わるのではなく、その存在をどのような状況であれ、徹底して守るという現実主義の「理想」を宣言することが、会津全体の幕末維新における、「義」の美しさを発現する理由にもなったのは確かだ。

                 

                正之の統治の始まりは、突出した暴れ馬を出さず、家臣を「標準化」することにあった。

                蒲生家や加藤家が消えてしまったのは、当主と家臣との間の不均衡と「属人化」にあった。

                少数の家臣に、小大名に匹敵する碌を与えることは、当主に対する裏切りの種になる場合がある。下剋上の背景にあるのは、過大に力を持った家臣を配置し、ある分野においてまかせっきりにすることにある。当主が望む情報を、独占されて如何様にも作り変えられるようでは、何かしらの不祥事があった場合の申し開きができなくなる。

                少し前の話であるが、雪印乳業や三菱自動車のスキャンダルも、これに類するものであった。

                 

                高い禄高は出さない。

                その代わり、上士における最低支給の碌もある程度のものとする。

                会津松平家では、最高額であっても、四千石しかなく、それも2、3人いるだけだった。

                下は五十石だが、幕府の最下級家臣の御徒(徒士)は70俵5人扶持か、それ以下だったから、そう酷い内容ではない。

                そして殆どの上士は、二百から四百石。

                 

                教育についても、有名な藩校・日新館がある。

                無論、日本全国の藩にも藩校は存在した。

                興味深いことに、幼少から一定の年齢になると、この種の藩校に通わせるという制度が、あちらこちらに見られるということだ。

                そしてほぼ共通しているのは、上士の子息が絶対条件であったという。

                不倶戴天の敵となる長州藩には明倫館があったが、ここも日新館と同じで、その条件が絶対であった。上士に仕える足軽の家は入学できなかった。

                だがこれは、全国問わず、徳川幕府下において、藩として生き残るために「中流」へと変貌する上士藩士への、最低限の歯止めだったのではないかとも思ってしまう。

                個性のない、官僚としての藩士として育つとしても、そういう形で生きるための意識を植え付ける、良い意味での「エリート意識」としての藩校が存在した。

                が、日新館は、やはり特殊だった。

                ドラマなどで有名となった、「什の掟」の中の「ならぬものはならぬのです」という一節がある。

                この「ならぬものは…」には誤解が多い。

                これは、「だめなものはだめ」という意味ではない。

                説明するのに、今一度、「什の掟」を転載する:

                 

                 

                一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ

                二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ

                三、虚言を言ふ事はなりませぬ

                四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ

                五、弱い者をいぢめてはなりませぬ

                六、戸外で物を食べてはなりませぬ

                七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

                 

                ならぬものはならぬのです。

                 

                 

                一から七に至るこれらの掟の条目に対して、「どのようなことがあっても、これらのことを堅く守る」という誓い、それが「ならぬものはならぬのです」として謳われている。

                 

                年長者とは別に年上ということだけではない。

                藩主に対して、そして藩主が支える幕府に対して、背かない、礼節を失しない。

                虚言を言わないということは、逆に考えると、自らの言動の一つ一つに対して、命さえも引き換えとする責任が出てくるから、慎重になる。

                卑怯な振る舞いをしない、つまり正面から堂々と…ということが、薩長による陰謀に振り回された悲劇にも繋がった。勝つためには何でもするという考えがなかった。

                 

                キリスト教には「使徒信条」がある。仏教には「四弘誓願」、イスラームには「シャハーダ」がある。

                それらは暗誦され、日々の中で自分が何者であるのかを意識するために唱えられるものである。

                そして、小さな困難や問題に際し、暗誦したこれらを拡大して、どう動けば良いのか、発言すれば良いのかを判断する。

                 

                さしづめ、「什の掟」は、会津藩士のそれと同じか。

                 

                今もやっているか不明だが、パナソニックでは松下幸之助の経営理念を早朝に唱和する。

                最後に勤めたゲーム会社では、週一回、社長が作った唱和を大声で唱えさせられた(今思えば、浅い品のない内容であったが)。

                こういう習慣は、まさに日本式サラリーマンの始まりなのかもしれない。

                高度経済成長期における、異常なまでの愛社精神、働くことそのもの(この場合、会津藩士であるということそのもの)に、意義があるという考え。

                 

                良い悪いは敢てここでは評しない。

                ただ、会津があまりにも「日本的」だと感じる理由は、ここにあるのではないだろうか。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                それにしても、美しい所だ。

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                スカボローフェア

                2018.12.04 Tuesday 21:20
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                  JUGEMテーマ:旅行

                   

                  Are you going to Scarborough Fair?

                  Parsley, sage, rosemary and thyme

                  Remember me to one who lives there

                  For once she was a true love of mine

                   

                  おまえはスカボロの市場に行くのか。

                  パセリ、セージ、ローズマリとダイム。

                  そこに住む女性にどうか伝えてくれ。

                  真剣に彼女が好きだった男から、と。

                   

                   

                   

                  トンネルを抜けると、雄大な磐梯山が視界一杯に入ってきた。

                  ハンドルを握りながら、とうとうここまで来れたという安堵感と、噂に聞く雄山の峰に対して、背筋を正す自分がおかしかった。

                  磐梯山。

                  写真や動画、有名な民謡でしか知らなかったあの山の麓にいる。

                  山肌を削るスキー場の景色に少し幻滅するが、雪深いこの地方において、スポーツ観光は重要な資源だ。

                  外部の我輩が言える立場ではない。

                   

                  明治150年。

                  「裏側」を常に見る性癖を持つ我輩はどうしても、「敗者」の立場に立ち、自分なりに考えたいと思ってた。

                  司馬遼太郎が生前、会津の「義」があったればこそ、我々は日本民族を信用することができると讃えていた。

                  幕末において、引いたら確実に滅ぶと分かっている貧乏くじを、その信念により引いた会津。

                  江戸幕府という崩れ行く船に敢て乗り、武士であり続けようとする手綱を最後まで離そうとしなかった会津。

                  その綱が切れたと勘違いして、若い侍達が自刃した会津。

                  明治に入ってからの悲惨さは筆舌しがたい。

                  だがそれを乗り越えて、会津の中から、明治を超えて、日本人とは本来、どんな民族であるのかを示す人材が多数輩出された。

                  一泊だけだが、どうしても行きたいと思った。

                   

                  白虎隊の墓。

                  佐々木只三郎の墓。

                  柴五郎の墓。

                   

                  墓ばかり?

                  そうかもしれない。

                  だが、墓があるということは、150年前、ここと連なる時空において、彼らが生きていたと感じることは、この上ない生きる勇気を与えてくれるものではなかろうか。

                  まずは、飯盛山へ向かおう。

                   

                   

                   

                  Tell her to make me a cambric shirt,

                  Parsley, sage, rosemary and thyme,

                  Without no seam nor fine needlework,

                  And then she'll be a true love of mine.

                   

                  どうかその女性に、シャツを作ってくれと伝えてくれ。

                  パセリ、セージ、ローズマリとダイム。

                  縫い目なく、簡単な作りでいいんだ。

                  そしたら一緒に、また暮らせることができるんだ。

                   

                   

                   

                  飯盛山の周囲に、土産屋の駐車場が多数存在している。

                  市営の駐車場を探してみたが、見つからない。

                  色々と「土産買えー」と圧力をかけてくるのではないかと、それが嫌で避けてたのだが、ダメだ。

                  山頂まで行くエスカレータに近い、あまり整備状態のよくない駐車場に停めた。

                  すると若い男性が、やってきた。

                  ボロボロの紙を渡される。

                   

                  「あそこのお土産屋で、甘酒一杯でも十分ですので、店に寄ってください。何も買わなくてもいいですのでー」

                   

                  拍子抜け。

                  中に入ると、老いた店員から小さな傘を渡される。

                   

                  「急な坂なので、これで身体を支えてください」

                   

                  意味がよく分からない。

                  手すりはあちらこちらにある。

                  おそらく、この傘で、自分の店の客だと他店に示したい、そんなものだろう。

                   

                  「どちらから?」

                   

                  東京です。あ、小金井市と言っても分かりにくいか。

                  ふむ、そうだ。

                   

                  日野の近くです。

                   

                  「おお、これはこれは」

                   

                  やはりそうなんだね。

                   

                  朝早いためか、エスカレータはまだ動いていなかった。

                  正面の坂はいくらなんでも無理だ。

                  脇のさざえ堂を経由して登ろうとすると、

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  ああ、そうか。

                  祖先の一部は、ここで戦ってたんだ。

                  諸生党は会津と、天狗党は薩長と。

                  複雑な気持ちになる。

                  会津は一つにまとまってたから、維新後も活躍できた。

                  水戸は維新になっても、内ゲバを繰り返したために、誰も残らなかった。

                  「水戸学」は国難を克服する精神的な学問だったのが、何故、勃興した藩がそれでまとまらなかったのか、いつも不思議に思う。

                   

                  長い坂道を登りきると、水音がする。

                  白虎隊が転進した戸の口洞窟。

                  夏場とは言え、ずぶ濡れになりながら暗い中を、少年たちは潜り抜けてここまでやってきた。

                   

                   

                   

                  Tell her to wash it in yonder dry well,

                  Parsley, sage, rosemary and thyme,

                  Which never sprung water nor rain ever fell,

                  And then she'll be a true love of mine.

                   

                  枯れた井戸で、それを洗ってくれと伝えてくれ。

                  パセリ、セージ、ローズマリとダイム。

                  水も湧かない、雨でも満たされることのない、乾いた所なんだ。

                  そしたら一緒に、また暮らせることができるんだ。

                   

                   

                   

                  狭い。

                  水流が激しい。

                  人工的に作られたということから、こういう脱出方法を知ってたのだろう。

                  薩長には知られない、絶好の抜け道だ。

                   

                  え?

                  となると白虎隊は、疲労感一杯、空腹のまま、ずぶ濡れで、ここまで来たというのか?

                  乾くこともなく、そこで城を見やったというのか。

                  ずぶ濡れになると、人は心細くなるものだ。我輩はそれを良く知っている。

                  空腹になると、判断力が失われる。

                  戦場で死を間近に感じた後、緊張感を和らげる機会がないとするならば、素足で茨を敷き詰めた道を歩くようなものだ。

                   

                   

                   

                  Tell her to dry it on yonder thorn,

                  Parsley, sage, rosemary and thyme,

                  Which never bore blossom since Adam was born,

                  And then she'll be a true love of mine.

                   

                  茨で乾かすよう、彼女にお願いしてくれ。

                  パセリ、セージ、ローズマリとダイム。

                  未だかつて咲いたことのない花なんだ。

                  そしたら一緒に、また暮らせることができるんだ。

                   

                   

                   

                  さざえ堂で思ったことは、別の日記で。

                  白虎隊を祭るお堂と土産屋を通り過ぎ、石段を更に登ると、いきなり広い場所に出てきた。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  我輩を含めた参拝客でいっぱいだ。

                  既に知られていることであるが、自害した後、薩長の命令で、白虎隊の遺体は長い間そのまま捨て置かれたという。

                  ここだけではなく、日本全国で「賊軍」とされた戦死者の亡骸が、同様に扱われた。

                  それに噛みつき、死体を集め、立派な葬儀を行った清水次郎長、会津小鉄、柳川熊吉、三河屋幸三郎の博徒がいた。

                  死した後の平安は敵味方問わずにあるはずだ。

                  「人間」である限り、死者に対する誰もが持つべき礼儀のはずだ。

                  それは戦い終わった後の慰めともなる。

                   

                   

                  Ask her to do me this courtesy,

                  Parsley, sage, rosemary and thyme,

                  And ask for a like favour from me,

                  And then she'll be a true love of mine.

                   

                  どうかあの人に、こうしてほしいと伝えてくれ。

                  パセリ、セージ、ローズマリとダイム。

                  どうか私のために、とお願いしくれ。

                  そしたら一緒に、また暮らせることができるんだ。

                   

                   

                   

                  ふと、誰もいなくなった。

                  一瞬、まったく繋がりのないはずの「スカボロフェア」の原曲が、口をついた。

                  古戦場で倒れた戦士の亡霊が、スカボロフェアに向かう旅人に対しての哀願の歌だと聞いた。

                  「パセリ、セージ…」のくだりは、日本で言えば、「くわばらくわばら」のような、亡霊除けの呪文。

                  だが、我輩はあえて、それを唱えない。

                   

                  会津の武士たらんとした、それが結果として悲劇となった。

                  普通の青春を送てた少年たちだった。

                  母が恋しかったろう。

                  家族が懐かしかったろう。

                  司馬遼太郎は「義」を見た。

                   

                   

                   

                  我輩はただ、誰もいない高台に、蹲ってしまった。

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                  帰る人

                  2018.12.03 Monday 20:38
                  0

                    JUGEMテーマ:旅行

                     

                    白峰城、白河の関、稲荷山の後、時間があまりにも余ってしまった。

                    早くに到着したというのもあるが、それにしても、関と山で随分と時間を過ごしたはずなのに、どういうことなのか。

                    とは午後3時前。

                    この季節は、とにかく夜が早い。

                    初めての場所で、早めにホテルに戻るというのは、先日の日記の通りのことだが、なかなか来ることのない白河。

                    であれば、南湖を訪れよう。

                    当初予定には入れていなかった。

                    理由は、この広大な池を築いた、松平定信を我輩個人、あまり評価していないという点だ。

                    本居宣長の国学を徹底的に批判し、後年、ある種の嫌がらせを本居宣長に対してやったとしかいいようのないことをした、そんなこともあって、あまり行こうとは思わなかった。

                    が、白河において、ここは明治になってから巨大な公園となり、市民に愛されているという。

                    惜しいのは、松尾芭蕉が亡くなった100年以上後に作られたということだ。

                    芭蕉がもし、訪れていたら、どんな句をよんだことやら。

                     

                    不可解なことに、この池を写真に納めなかった。

                    何故?

                    それなりに見ごたえのある場所であったが、ただ惚けていただけなのかもしれない。

                    あるいは、

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    名物の南湖団子で血糖値が上がった所為なのか。

                    いや、それにしても美味かった。

                    駐車場から池に向かう際、最初、目に入った茶店で食したのだが、素朴ながらも雑味のない、正直な味わいを楽しむことができた。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    小峰シロなるご当地キャラが2011年より続けられており、その後、多くのキャラが登場した。

                    足利ひめたまと同じ、地元の有志らを中心に運営されている。秋葉原へ行くと、一連のキャラグッズが駅前で売られているから、知ってる人もいるかもしれない。

                     

                    ここ南湖では、「鏡花」というキャラが登場する。

                    そしてこの茶店でしか売られていない限定グッズもある。

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                     

                    おや?

                    表の手書き看板と同じ画風だ。

                    さて、今しがた、団子を運んできた、メガネをかけた妙齢の女性が、このデフォルメキャラの作家か。

                    となりの高齢者グループとの会話で、かつて東京、千葉に住んでたが、帰ってきた云々…思い違いかは別として、イラストレーターを目指して上京したが、帰ったということか。

                    少し、お話をしたかったが、だいぶ暗くなった。

                    ご馳走様。

                     

                     

                     

                    見事な満月が、湖面を照らす。

                    ここで一句を。

                     

                     

                    惜しいかな 芭蕉に見せたや 南湖月

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                    白河のラーメン

                    2018.12.02 Sunday 21:27
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                      JUGEMテーマ:旅行

                      JUGEMテーマ:グルメ

                       

                       

                      旅行は食に始まり、食に終わる。

                      海外プチ貧乏旅行に際しては、その国を象徴(?)するものを入国直後に食べなければ落ち着かない。

                      マレーシアだとナシレマとかがそうだ。

                       

                      しかし困ったことに、白河については、何も思い当たるものがない。

                      せいぜいラーメンか。

                      ちょっと調べると、「とら食堂」なる店が発祥とのこと。

                      とはいえ、いつからか…についての情報はない。

                      ご当地ラーメンというのは、どうにも個人的には苦手だ。

                      昔、取材で佐野へ行き、昼と夜に佐野ラーメンを食べたせいで胆石が動き、ホテルで七転八倒した。

                      それ以前に、麺が伸び加減でコシがなかったのが、残念だった。

                      それと同じではないことを祈りたい。

                       

                      早めにチェックインして、少し休んでから夕方18時前に夕食をとりに出る。

                      新白河駅前には何もない。観光案内所があるが、パンフレットがずらっと並べられているだけで、特に何かお土産になるようなものはない。

                      駅の中に入ると、人はそれほどいない。

                      小規模な土産販売店と立食の蕎麦屋がある。メニューを見ると、なかなかうまそうなものが並べられているが、実は昼間に別の食堂で白河の名物とされる割子と蕎麦刺身を食した。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      なかなか変わった食感の蕎麦刺身であった。

                      が、二度続けて蕎麦を食するほど、蕎麦偏愛の我輩ではない。

                      前述の通り、駅から離れ、ホテル近くの食堂へ向かった。

                      グーグルマップを見ると、3〜4軒固まってる。

                      駅前のロータリから目先にある店で良いと考えた。

                      ただ、営業しているのか、外からの様子ではわからなかった。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      遠慮なく扉を開けるが、反応がない。

                      すみませーんと呼ぶと、厨房の奥から頑固そうな主人と、優しそうな雰囲気の女将さんが深々とお辞儀してきた。

                       

                      やってますか?

                       

                      「どうぞどうぞ、お好きなお席に」

                       

                      女将さんに促されて、テレビがよく観えるテーブルにつく。

                      面白いことに、流れているのは「時代劇チャンネル」だ。

                      我輩も少しばかり時代劇ファンではあるが、これはまた古い映画が流れてる。片岡千恵蔵主演のモノだ。

                      なるほど、ある落語家が揶揄してるように、見事なまでの三頭身(ぉぃ w

                       

                      それにしても、この食堂の雰囲気は頗る良い、というか懐かしい。が、おかしなことに、こういう食堂に入ったことはなかった。

                      大学時代にも武蔵境にキッチン富士という定食屋があったが、広さはここの1割ほどで、落ち着きのない所だった。

                      だが、この食堂は違う。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      鷹揚に壁のメニューを見る。

                      油の煙とかで干からびたものではなく、綺麗に整った手書きと写真見本が良い。

                      お勧めは手打ちチャーシューワンタンメン。いいね、それを大盛りでお願いします。

                       

                      あ、それと、やはりここは米どころ。

                      一人旅の場合は、酒を飲まないという自分なりの決まりがある。

                      これには理由があるが、それを今回の日記にてわざわざ書くものではない。

                      ただやはり、ここからは一杯お願いしたい。

                       

                      「ごめんなさい、普通の花泉、冷やしていなくて...純米とかのであれば、お高いですが」

                       

                      おお、我輩としたことが。

                      その場所で、できるだけ良いものを味わうという点については、お酒も同じではないか。

                      では、純米酒を。900円?安い安い。

                      ふむ、これは優しい味わいだ。

                      吟醸ではないが、吟醸に勝るとも劣らないふくよかな香りがなんとも良い。

                      食前酒にぴったりかもしれない。

                       

                      「はい、こちらはサービスです」

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      なんと、日本酒を頼むと、タダでこれらが出てくるのか。

                      900円で良いのか?

                      左はチャーシュー、右はおそらく豚肉を煮た際に出てくるものを集めたのか。

                       

                      うまい.......

                      ネギとごま油を垂らしたチャーシューの肉が甘く、噛めばジワっと出汁の味わいが染み出てくる。

                      くず肉の皿は、小骨が多く食べづらいものがあるが、なんのなんの、これを少しずつ剥きながら口に放り込むと、酒が進むこと。

                      酒をもう一本、欲しくなる。

                      どうしようか、明日は早くに会津へ向かわなければならない。ここで酒をおかわりしたら、どうなるか。

                      年齢から、酒が残りやすくなってる。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      悩むこともなく、ラーメンが登場。

                      これもうまい!

                      麺はしっかり手打ちで、佐野ラーメンとは比較にならないくらいにしっかりとした噛み応え。

                      スープは一見薄いように見えるが、ダシが深く、全部飲み干してしまっても物足りないくらい。

                      チャーシューは甘く、ワンタンも味わい深い。

                       

                      白河は、旅人にお金以上のご馳走をするという文化があるのだろうか。

                      駅前は閑散としており、徒歩数分先の国道まで行かなければ、コンビニはない。

                      ひどく寂しいところで、我輩以外にその日の時間帯に客は来なかった。

                      一帯には、新幹線開通に伴い、多くの工場団地が存在している。

                      そこで働く人たちが、平日の昼と夜に、ここまで足を延ばして、酒を楽しむのだろうか。

                      ラーメン食堂というこの昭和の文化が、白河一帯でしっかりと残っていて、不思議な郷愁と共に、旅人の胃を満たすことに、ある種の誇りを有しているのかと、ふと思った。

                      大袈裟かもしれない。

                      が、この場所であれば、あながちそうではないとも言えまい。

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      ご馳走様。またいつか。

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