トイレと睡眠と食事をしっかりと確保することが、旅を楽しくさせる絶対3条件だ。
だが、これら3条件は、旅慣れない人にとっては、緊張するものであり、不安にかられるものである、そのためいらぬ我慢をしてしまい、体調を崩してせっかくの旅行を台無しにしてしまう。
あまりにももったいない。
これは別に海外旅行に限らない。
8月の鹿児島旅行の際、
地鶏の名店と呼ばれるところに行ったが、レストランというより、田舎の掘っ立て小屋のような所で、最初入る時は躊躇したものだ。
地元の人しか入らないような店は、入る時と食事する時に、不可解な排他的空気を感じることがある。
そういうのが、日本人特有の「空気を読む」なる精神が悪い方向で現れたものかもしれない。
我輩はそういう精神構造を、日本の入管から出た瞬間、捨てることにしているが、それに至るまで、場数を踏まないと難しいものがあることを否定できない。
さて、マレーシアに限って言えば、美味しいかどうかは別として、食べることについて困るということは一切ない。
LCCTからのバスが高速道路を走っている時に、沿線で謎の屋台を数多く見かけた。
別にサービスエリアとかではない。
ごくナチュラルに、路肩の向こう側のヤシの森の隅っこに、簡易厨房を中心にテントが張られ、おばちゃんがコンロで何かを炒めつつ、デザインが定まっていない様々なテーブルで他愛のない会話をしているであろうトラックやタクシーの運転手相手に何か喚いている。妊娠している若い女性が注文を取っているようだが、息子の嫁さんかなんかだろうか?
そこまでディープでなくとも、この国においてどうやら、鍋、包丁、まな板、コンロがあれば、どこででも誰であっても、食事をする店を開いても良い仕組みになっている。
これはマレーシアだけの話ではなく、台湾から東南アジア一帯に共通している食文化のようだ。
何らかの理由で流れ着いた広東人などが、生活の糧を得なければと、とりあえず母の味を思い出しながら鍋をふるっていたのが始まりかもしれない。支那では、人生何とか生きていける職業として3つの刃がある…床屋、仕立て屋、そして料理屋。その知恵については、我輩も同意できる。今は亡き遠藤周作は、この言い伝えを知ってたのか、大学在学中の息子に理容師の免許を取らせてたという話は、本当なのだろうか?
料理屋であれば、客が入ってこなくとも、素材で日々、何とか生きていける。料理人の結城貢は、脱サラして料理人を志したが、この”保障”があるから気楽だったと言ってたな。
ここで一回の市井の屋台料理人として終わることも多い。
幸運でなおかつ味覚にセンスのある人なら、店を構えることもできる。
更に人気を呼べば、顔写真が掲載された「○○○の○○スープ」てな感じで、商品がスーパーの店頭にならぶ…そういうことを思えば、外野から見れば大変興味深い世界だ。
あ、話がずれたな。
さて、海外で、台湾とか今回のマレーシアのような所で食べる…うん、勇気がいるかもしれない。
でも、食べなければならない。
旅行家、さくら剛のケースを使うか?
まず、日本でもおなじみのチェーン店に入る。
注文の仕方は、世界基準だから、簡単に注文できるし、食事の仕方も同じだ。
実は我輩、三日目に朝マックを頼んだ。
単に前の晩、水パイプで軽い二日酔い(?)になってて、近くの屋台で食べる気力がなかっただけ。
イスラームの国であるが、日本と同じベーコンエッグなどがある。
それを頼む…というのもまあ良いが、メニューをじーーーと観察すると、見かけたことのないものがあったりする。
これなんかそう。
ピタパンの中にスライスしたベーコンと目玉焼きが入ってたセット。
イングリッシュマフィンとどこが違うんだ…と思ったが、ピタがしっかり”ピタ”の味だったので、なかなかイケた。
こういう感じで、その国の味を楽しむのが一番気楽だ。
ちょっと慣れたら、ショッピングセンター等のレストランに入ろう。
とにかく清潔。
店員の接客態度も日本と比較しても劣らない。
その分だけ高いというのが、当然だけどね。
大抵この手のところは、入り口に「ここでお待ちください、ウェイターがご案内します」という案内板がある。
やってきたウェイターに対して人数を伝えれば、あとは簡単…そ、ファミレスと同じなんだよね。
更に慣れたら、観光客向けの夜市へ。
屋台がズラーっと並んでいる所を歩けば、メニュー片手に「うちおいしいよ!」と呼び込む人があちらこちらから出てくる。
この場合、素直に客引きの誘いに乗ろう。
ベトベトなプラスチックのテーブルへ案内されて、色々とおすすめの料理とか言ってくるから、それを指さし注文すれば良い。
ボったくられる?
まあ、そういうケースはなくもない。
でもねえ…日本で言えば、数百円程度のことだ、大目に見てやろうじゃないの。
…いや…見なかったことにしょう…。
ガイドブックとかに掲載されている店も、味や値段はともかく、観光客慣れしているのは確かだ。
店の人はプロだ。
直ぐに観光客だと判ると、色々とフォローしてくれるものだ。
ただここは、「地球の歩き方」に載っているんだけど、英語が通じない店員ばかりで、大変だったよw
でもまあ、少しばかり、地元の空気を味わえる楽しみが、ここらへんから実感できるようになるはずだ。
さて、道に迷い、見知らぬ所へ出てきた、腹が減った、どっかで休みたい…という状況になったらどうすべきか。
たとえば目の前に
とか、路地裏に
とか、半分崩れかかったテナントビルの最上階に
しかなかったら、どうするか?
まず、店に入ろう。
まあ、基本だね。
次に素早く、店の中を見渡す。
入り口の所に、何か案内板とかなければ、そのままズイズイと入る。
そしてウェイターをみかけたら、人数を指で示す。
で、ここで言うことは
「Eat In」
つまり、この店で食べたい…それだけだ。
そうすれば、そのウェイターが、色々とフォローしてくれる。
先にレジで注文する場合、レジの係のところまで案内してくれる。そこにメニューとかがあるから、エイヤっと頼もう。
席まで案内された場合は、そこで注文することになる…メニューを渡されるので、まず最初に飲み物を注文しよう。ウェイターが行っている間に、食事メニューとかチェックできる。
一品しかメニューがない場合は、席まで案内された直後に、食事がドンと出る。チキンライスボールの専門店がコレだった。
食事中、清算はどうするのか、周囲を観察しよう。
席で清算する。これが一番多い。
食事を終えたら、ウェイターに対して、勘定をお願いしよう…とはいえ、言葉がわからない場合は、手のひらにペンで書くというジェスチャーをすれば通じる。なんか世界共通だよね、これ。クレジットカード支払い可能な店でもないのに。
面倒であれば、注文した食事が全部届いたところで、財布を見せるという方法もある。華僑のやっている肉骨茶の食堂では、これが一番よく通じた。
何も言わず、勘定票を置いた場合は、レジで清算するパターン。食事を終えたら、それを持ってレジまで行くというのは、日本と変わりない。
マレーシアはチップの習慣がないが、熱心にサービスしてくれるウェイターがいる場合、テーブルか、あるいは直接5リンギットを握らせるのも悪くはない。
食事をする人は、王様より偉い…というのは、台湾から東南アジア一帯での考え方のようだ。
誰でも知らない食堂に入るのは、緊張するものだし、地元の人しかいない店だとなおさらだ。
でも、食堂の人は、自分の料理を日本人の観光客が食べてくれることを、すごく喜んでいるのだ。
アインアラビアで毎晩、カプサを食べたこの店は、ガイドブックには掲載されていない。
だから我輩のような珍客がひょっこり入ってきた時、我輩が緊張する以上に、店の人たちが緊張してたそうだ。
四日目の晩にいろいろと打ち解けて、話を聞けば、日本人がうちの料理を気に入ってくれるのは意外だったが、とてもうれしかった…という本音が聴けた。
いあ、サウジアラビア王国で毎晩食べたカプサの味と同じだったから…と言ったら、笑ってくれたが。
旅行の思い出は、いろんな形で残るものだ。
味覚で作られる思い出は、食欲という人間が避けて通れない本能に基づいたものだから、深く刻まれるものだ。
そして、その味覚に至るまでの工程こそ、世界をちょっとずつ広げるステップになるのだ。
明日は、マラッカへの行き方…でも書こうかな?