そんなに意外かな?

  • 2011.10.21 Friday
  • 23:38
JUGEMテーマ:学問・学校

我輩は日本アイルランド協会の会員である。



…そんなに意外なこと?
日記とかにも書いてたりしているが、
我輩とアイルランドの関係って、結構長いぞ?
アイルランド独立闘争の歴史と、
とりわけ、Rebel Song については、大学時代から
ライフワークで研究しているんだぞ?
インターネットがなかった時代、また「地球の歩き方」でアイルランドがなかった時代、
アイルランド大使館まで往復して学術書とか読んで、
卒業旅行で一人、アイルランドを一周してきたんだぞ?
その後、あっちでアイルランドについての催しがあれば顔を出し、
こっちでアイルランド音楽のコンサートがあれば仕事を放って(マテ)鑑賞し、
あちらの大学でアイルランドの独立史についての市民講座があれば出席し、
こちらのサークルで、アイルランド音楽についての自主演奏があれば飛び入り参加する。

当然、日本アイルランド協会の一般会員であるのも、おかしくはなかろう?

もっとも、会誌にまだ一回も投稿していないのが、心苦しいな。
いや、その前に、我輩は協会において、ちょっと浮いているかも…
だって、大学教授とか、アイルランド研究を目指している大学院生とかが
名簿に名前を連ねていて、そこに

 
 
 ゲーム制作者

ってあったら…ねえ。w



でも、この協会が好きだし、協会が開催するイベントも楽しい。
我輩のような、いびつにして毛並の違う人物であっても、暖かく迎え入れてくれるから、好きだ。
アイルランドについて、同じ認識と知識を共有しているから、話しやすいし、
講座もわかりやすい。

何よりも前回の復活祭のイベントで、マイケルコリンズについて、落語家が
映像を交えて解説してたが、共通した教養を共有できることの楽しさは、
なにものにも替えがたいものがある。

そして、マイケルコリンズが暗殺された瞬間で、
共に涙を流すことについても、不思議な感動がそこにある。



色々と個人的な事情で、研究から遠ざかっているが、
今年初め、小川寛大先生からアメリカ南北戦争についての教授があった際に、
このライフワークが新たな展開を迎えた。



小説「風と共に去りぬ」では、主人公の家族はアイリッシュ系であることは有名である。
故国では、英国に支配されていたこともあって、新天地を求め大西洋を渡ったアイルランド人は、アメリカ独立前から多くいた。
決定的だったのは、1740年代の大寒波が、大きかった。
反英的な素地が完成されていたからこそ、独立戦争があった。

だが、その後の対処が、悲劇をもたらした。
アメリカ独立後、二代目大統領ジョン・アダムズによる強権的にして、中央集権的な政府が作られたことから、中央政府への不信感がアイリッシュ系の間で強くなり、南部へと流れて行った。
三代目大統領となったトーマス・ジェファソンによって、地域主権へと揺り戻されたが、この段階で、連邦政府への敵愾心が植え付けられていった。

そして約百年後に、南北戦争が発生した。
詳細を書くと、長くなってしまうが、
アイリッシュ系の悲劇は、南部が負けたことによるものではなかった。
北軍に、アイリッシュ系の連隊が数多く存在し、
同じ緑と竪琴の元、血を流しあったことに、たとえようもない残酷さがあった。



で、小川先生からの教えをもとに調べていくと、
ちょうど我輩が研究してるRebel Songと関係する史実が登場した。



そして、Rebel Songの一つの潮流が、南北戦争によって
潰えたことも、調べていくうちに知った。
エリンの地で生まれ育ち、クロムウェルらによって潰されそうになったが、
アメリカに逃れることで命脈を保った、本流としてのバルド(吟遊詩人)の音楽が、
南北戦争で滅んだという仮説を立ててみた。

幸い、この種の史料なら、腐るほど存在している。
数百年前の英語だから、簡単に読むことができる。



我輩は、こんな感じで、アイルランドと昔から、関係を持っている。
二次元オタだけが、我輩の姿じゃないんだよ?
三線だけでなく、ティンホイッスルやティンバーフルート、ボドランとかも演奏できるし、
ソラでRebel Songを100曲近く、歌えるんだよ?
全ての仕事を終えたら、アイルランドで一人ひっそり、老後を暮らして死にたいんだよ?

人間の一側面だけで、すべてを語ることはできない、ちゅーことだ。



あ、それから成田の税関の皆さんと公安の皆さん。
いつもごめんなさい…
シンフェイン党の通販サイトから、資料をインターネットで購入するんですが、
税関のところで中身をいつもチェックしていらっしゃること、特に問題ありません。
ご存分にチェックしてください。
てか、シンフェイン党って、IRAの政治部門だもんなあ…神経質にもなるわなあ…
でも、amazonでは売っていないんだよなあ…。



蛇足で、一番好き…というか、これが流されたら、
どんな状況でも、泣いてしまうRebel Songを一つ。
だから、米粒写経のコントの最中に流すんじゃねーぞw





Fields of Athenry

By a lonely prison wall, I heard a young girl calling
"Michael, they have taken you away,
For you stole Trevelyan's corn,
So the young might see the morn.
Now a prison ship lies waiting in the bay."

Chorus:
Low lie the fields of Athenry
Where once we watched the small free birds fly
Our love was on the wing
We had dreams and songs to sing
It's so lonely round the fields of Athenry.

By a lonely prison wall, I heard a young man calling
"Nothing matters, Mary, when you're free
Against the famine and the crown,
I rebelled, they cut me down.
Now you must raise our child with dignity."

By a lonely harbor wall, she watched the last star fall
As the prison ship sailed out against the sky
For she lived to hope and pray for her love in Botany Bay
It's so lonely round the fields of Athenry.

150年 95年 人類の歴史は、夢のまた夢

  • 2011.05.07 Saturday
  • 19:09
JUGEMテーマ:学問・学校
 
今年は米国南北戦争開戦150周年。
以前、日記に書いたっけ。
再来年はゲティスバーグの戦いから150周年。
一時帰国を計画しよう。
場所はペンシルベニア州だから、NYでいいよな、滞在は。
島の中でなくとも、シラキュースとかなら、滞在費も安かろう。
てか、一泊一万円が最低ラインというのは、どうかと思う。



大学時代からずーっと、ライフワークとして研究している
アイルランド独立運動のターニングポイント、復活祭蜂起から95周年。
多くの指導者が、ダブリンのキルメイナム刑務所で処刑された一週間を、今、過ごしている。

聖エンダ校(行ったことがあるが、綺麗な所だったな…)の校長にして、詩人、
そして、アイルランド共和国臨時大統領のパトリック・ピアースが処刑された5月3日から、
ジェームズコノリーの処刑日12日(サー・ロジャー・ケイスメントを加えたら、8月まであるのだが)…



一見、関連のない二つの事件。
だが、歴史で敗北し、神話で勝利するという、あまりにも切ない、あまりのもゲーリックな夢に、
胸が張り裂けそうになる。



我輩の本心は、あくまでも「作る」ことを通して、「死ぬ」ことだ。
待つべきか。
諦めるべきか。
夢のまた夢。

こないだの聖パトリックデーの集いの1シーン

  • 2011.03.30 Wednesday
  • 00:27
JUGEMテーマ:日記・一般
 




萬崎さん、ありがとうございます。
なんか、すっかりアイリッシュになってます。w

Facebookやらツィッターやらの画像は、これに統一。
はぁ…ほんと、仕事を辞めて、アイルランドの片隅で、ひっそり暮らしたい…。

ソラで歌えるもんねー

  • 2011.03.20 Sunday
  • 22:16
JUGEMテーマ:日記・一般
 
日本アイルランド協会主催セントパトリックデーの集いに出席。
予定されてたパレードが、大震災のため、延期…というより、このまま中止になるんだろうなあ…。
せめて、この集いで、音楽を聴いて、酒を飲んで、踊って…。














ギネスではなく、マグナーズのサイダーばかり飲んで、
途中で何を思ったか、アイリッシュダンスの輪に入ってしまって、
更に酔いがまわってしまい、落ち着け我輩、中年にになって、相変わらずだなあ…と。

てか、財布がものすごーく軽くなっているけど、
またサイダーをグイグイ飲んでたんか、我輩。
いや、サイダーだけではないな。
ウィスキーも数ショット、
ギネスの何パイントか飲んで…いや、まあ、弱くはなったが、酒好きだということで。
にしてもいい店だな…今度の飲み会、ここにしようかな。
ちょっと遠いけど。



でもね、やはりアイルランドはいいね。

そりゃ台湾もいいさ。
近いから。
安いし。飯も美味いし。
でも、言葉通じない。
それが結構きつい。

アメリカに帰れというのもある。
コミュニケーションが楽だし、
勝手知ったるところだし。
でも長くいればいるほど、食事の所為で、身体が蝕まれるような感じがするのは、なんでだろ。
やはり、コーンスターチの呪いか。



パブにこう座って、
音楽を聴いて、
来ている人たちと話をして、
時々音楽演奏の中に飛び入りをして、
また酒を飲んで…。

ああ、今日来てよかった。
会社とかでは、話が合わないが、
ここに来れば、話が合うし、心も共に感じあえる。

この雰囲気が、何においても愛しい。

前世というのが、もし本当にあるとすれば、
アイルランド人だったんだろうな、我輩。



最後にアイルランド国家斉唱。
歌詞のプリントが渡されたけど、ソラで歌えるもんね、英語でもゲール語でも、しかも3番まで。w

アイルランドについて少し徒然と…

  • 2011.02.27 Sunday
  • 19:58
JUGEMテーマ:日記・一般
 
「アイルランドに知人も友人もないのに、引退して行ったところで、何になる?」

かつての上司に、酒の席で指摘されたことがあった。
確かにそうだ。
我輩の夢は、一日でも早く、一切を捨てて、人知れずアイルランドのどこか田舎で、一人死ぬまで、貧しくてもひっそりと暮らすことである。
だが、友人知人のアイルランド人は、日本にいるか、あるいはダブリンなどの大都市にしか住んでおらず、休日であっても、そんな所まで車を飛ばすほど親しいというものではない。
だが、それでいいのだ。
不動産の価格を観たら、畑があって、町まで自動車で15分の所にある小屋(と言っても、日本で言うところの2LDKか)が、全部込みで150万円で売られていた。外国人の我輩でも、問題なく買えるとのこと(その代り、保証人制度を活用するためと、弁護士代が別途必要だが)。
少々勇気がいるが、即金で出せられる。
車もいいが、馬に乗って、村まで往復するような感じで生活したい。
ネット環境は決して良いとは言えない(日本が異常なまでに高品質なだけだが)が、使えればそれにこしたことはない。
友人知人がいなければ、作れば良いのだ。
そこにあるのは、金勘定やビジネスにおける吐き気がするパワーバランスなど存在しない。
「村のはずれに、変わった東洋人一人が住み着いた。毎晩パブに来て、皆と一緒に飲んでる」
という感じで、過ごせたら良い。
そ、名前はいらないのだ。
時が満ちて、そこでゆっくり老いて、一人で死ぬ。
前もって、村の教会にお願いして、死んだ後のミサの段取りと、墓について予め準備しておく。
葬儀が終わった番、遺したお金で、村の人たち全員、パブで只酒を振る舞えば、最高だ。

それが我輩にとって、唯一の夢だ。



フィナゲール14年ぶりに政権奪還のニュースが飛び込んできた。
フィアナフォイルと政策において、大きな違いはないのでは?…と思われている。
かくゆう我輩も、そう。
あまり大きな違いはない。単に英愛戦争の戦後処理の違いから、確執を引きずっているだけだ。
ユーロに参加して、国家負債が軽減されたが、統合通貨最大の欠点である、自国経済について自由な裁量が一切ないということが、アイルランド経済の失墜を招いた。



週刊「ニューズウィーク」を読んだが、アイルランドは今回の経済破綻で、野良犬ならぬ、「野良馬」問題を抱えているそうな。
ダブリンの街中に、インドであれば野良牛だが、野良馬があちらこちらにおり、子供たちからいじめを受けているそうな。
裕福になった際、誰も彼もが買ってた馬だが、失業して飼えなくなったということで、そのまま放置してしまったとか…。

ああ、今すぐ行って、野良馬一頭を拾って、そのまま乗りたい…。



明日から仕事か…。
理不尽な仕事が続くのか…。
こういう夢を持たないと、生活できん。
夢を持つことが許されない仕事ほど、人間を腐らせるものはない。

告知 第20回 セント・パトリックス・デイ・パレード東京

  • 2011.01.11 Tuesday
  • 23:59
第20回 セント・パトリックス・デイ・パレード東京


今年こそ、参加してやる!
そして、ギネスビールを飲んでやる!w

1916 Seachtar na Cásca

  • 2011.01.10 Monday
  • 20:53



インターネットに感謝。
本当に感謝。
不法アップロードである可能性がはるかに高いが、
昨年、情報があってから、観たくて仕方がなかった
2010/9より、アイルランドで放送されてたドキュメンタリードラマ
「1916 Seachtar na Cásca」を観ることができた。


「Seachtar na Cásca」

巧いタイトルだ。
英訳すると

「The Easter Seven(復活祭に7人)」

ああ…
我輩が大学時代から20年間、アイルランドの独立革命史を
ライフワークとして研究しているが、その中で最も史実において頂点に立つ
復活祭蜂起。
そこで指揮を執り、処刑された7人のことか。

Thomas J. Clarke,
Sean Mac Diarmada,
James Connolly,
Patrick H. Pearse,
Éamonn Ceannt,
Thomas MacDonagh
Joseph Plunkett

本当は、兄Patrick H. Pearseと同じく処刑された弟Williamと、
Banna Strandで捕えられ、ロンドンで処刑されたSir Roger Casementなども多く含まれているが、ダブリン市街戦の中心人物たちとしての、「アイルランド臨時政府」の「首班」としての彼ら7人が取り上げられた。
一人一人の名前と、一人一人の生涯、一人一人の戦場での活躍、逮捕された時の様子、処刑までも道のりを全部述べることができるし、一人一人を歌ったRebel Songsも歌える。
GPOを占拠し、Patrick H. Pearseが高々と宣言した「アイルランド独立宣言」も、完璧ではないが暗唱できる。
処刑の数時間前、キルメイナム刑務所でJoseph Plunkettが婚約者Grace Giffordと結婚した様子も、説明しろと言われたら、いくらでもできる。
Banna Strandの平和な波音も、今でも覚えている。
最初にダブリンの町に入り、目に飛び込んだのが、アイルランド市民軍本部の跡地だったことも、懐かしい思い出。



5年後か。
100周年記念の式典、何かあるだろう。
ほいほいと海外旅行に行くより、こっちを目的に、
貯金をしていったほうがいいかもしれないな。

ああ、それにしても、このドキュメンタリードラマ、よくできてるな…。
Facebookにもコミュがあるし、こりゃありがたい。

うっかりしてた!

  • 2011.01.04 Tuesday
  • 15:59
旧軍や古今東西の軍歌などを研究されている
小川寛大先生の年賀状で、

「今年はアメリカ南北戦争開戦150周年の年です」

とあった。
なんということか!うっかりしてた!
沖縄に行くとか、そんな話どころではない!
アイルランドのRebel Songを研究する身として、こんな大事な年を忘れてしまうとは、恥以外の何者でもない!

アメリカ南北戦争。
正式には「American Civil War」。
経済に関しての考え方が違うということと、当時の連邦憲法に関する解釈の違いというだけで(奴隷解放は当初、大きな要因ではなかった)、同一国の中で凄惨な戦いが繰り広げられていた。
リンカーンの「ゲティスバーグ演説」ばかりが有名であるが、我輩として、同大統領の二期就任における演説あげられた聖句、


"The judgments of the Lord are true and righteous altogether."
   
「されど神の裁きは正しく絶対なり」


に込められた、アメリカが生まれ変わるための血による「過ぎ越し」と「洗礼」への絶望的な祈りにこそ、この戦争の意義があったと考えている。



さて、南北戦争は遠い昔の話ではない。
偶然にも幕末明治維新と同じ時代だ。
アメリカ独立から100年経っていない時期に勃発したこの戦争には、いろんな「アメリカ人」が存在していた。
ライフワークとしているアイルランド移民も多く、その数の多さから、南軍北軍双方にアイルランド移民からなる強大な師団が多く存在し、とりわけ北軍の「69th New York Infantry」の勇猛さは知れ渡っていた。そしてその師団には、アイルランドにおける19世紀で最も有名な独立闘争「1848の闘争(反乱)」の参加者が存在していた。最も有名な中隊長のThomas Francis Meagher大尉もこの反乱に参加していたが敗れ、オーストラリアに送還されたが逃亡し、師団に参加した。戦いに慣れた戦士で構成されていたのだ。

そして南軍にも多くのアイルランド人が参加していた。
特定の師団が組織されたということはなく、そもそも祖国を追われ、新天地を求めて南部を開拓していったアイリッシュ系が多かったことから、連邦政府の中央集権的な考え方がかつての大英帝国のそれと被るところがあり、自然と南軍全体に「アイルランド的」な文化が根付いていった。
よく聞かれるウェスタン音楽に使われるフィドルなども、典型的なアイルランド音楽の派生であり、食文化、言語における方言、強い独立志向が南軍の特徴であった。

一時期「奴隷制に賛成しているから南軍は悪」という考えがあったが、奴隷を有するのは裕福なプランテーション経営者などが中心であり、一般的な市民において、奴隷制について墨守しているというところはなかった。
前述したように、南北戦争は「奴隷解放」が名目で開始されたものではなかった。実際、米国の連邦憲法では、州における独立が認められていた。北部と南部の経済の考え方は正反対:北部は工業化による国内産業の充実と労働力の流動化(この流れで、奴隷のように「固定」された労働力は好ましくなく、誰もが使える労働力が必要だったのだ。奴隷制そのものについて明確に反対はしていなかった)、南部は綿花プランテーションによる海外との貿易に重点を置いた農本主義を主張していた。一定以上の品質と量の綿を算出するのに、熟練の労働力としての「奴隷」が必要あり、労働力の流出は許しがたいものであった)。

政治の中心は、北部にあった。
憲法で保障されている「独立」の権利を行使しただけだった。
しかし、リンカーン大統領はそれを許さなかった。
歴史から見れば、リンカーン大統領は偉大な指導者だったかもしれないが、別の観点から見れば、法律を犯した政治家ということになる。
ものすごい皮肉だ。

バージニア州フレデリックバーグで、1862年12月、「69th New York Infantry」と、アイリッシュ系が数多く存在した「北部バージニア州軍」が激突。
映画「Gods and Generals」でその様子が上手に再現されている。






ああ、そうなんだ…
今年で150周年なんだ…。
多くのイベントが開催されるだろうな。
多くの学術会が開かれるんだろうな。
多くの音楽が演奏されるんだろうな。



南軍の第二国歌とされている「Dixie Land」の作詞作曲をした
Dan Emmetはアイリッシュ系だった。


「The Bonnie Blue Flag」の原曲は「The Irish Jaunting Car」からであり、詞を付けた Harry McCarthy は、アルスターから南軍まで慰問に来てた音楽家だった。


「南軍=アイルランド」と深く感じさせるこの歌も、有名すぎる。
この音楽のフレーズも、18世紀にアイルランドで生まれたもので、前述の反乱と共にアメリカに渡り、新しい詞が付けられたのであろう。



まだたくさんの歌がある…。
つながっているだ。
大西洋を越えて、アイルランドとアメリカは、つながっているのだ。

帰るべきだろうか。
一度。
やはり。
生の音楽に触れたい。
南部がどういう所なのか、知っておきたい。

アイルランドへ「帰ろう」

  • 2010.10.21 Thursday
  • 14:10
「外」のどこに行こうか、悩むの止めた。
来年、アイルランドへ、一度「帰ろう」。

老後、一人で暮らす終の棲家を探すことに、
早すぎるということはない。

今度こそ、行っていない
イニシュア島まで行きたいしね。
それに、スカンジナビア航空が
あんなに安いとは、意外だったな。

Take Me Home To Mayo

  • 2010.10.10 Sunday
  • 23:35
寝ぼけ眼でネットをあさっていたら、ちょっと面白いニュースがあったので紹介…。

出身地をバカにした被告に「その地にある山に登れ」という判決

裁判で有罪となれば、さまざまな罰則を科されますが、その内容が山に登れというのは、さすがめったにないことだと思われます。

アイルランドで別の地域出身の警官を侮辱した男が、その地域にある山に登るよう判事から命じられたそうです。

ひどい罵倒をしたという理由で訴えられたのは、アイルランドのラスマランに住むジョセフ・マッケルウィーを含む3名。

パブの外で警官2人を罵り、アイルランド北西部にあるメイヨー出身の警官をバカにして「メイヨーへ帰れ」と言い放ったようです。

被告は反省しているものの、判事はメイヨーにある山に登るよう命じました。その山はクロー・パトリックと言い、標高764メートルでウェストポート駅から8kmのところにあるメイヨーで3番目に高い山だそうです。

判事は被告にクロー・パトリックに登ったことがあるかを尋ね、その山に登れば、その地域の人々の見方も変化するかもしれないとして、その山に登った後に、もう一度戻ってきて感想を述べるよう命じたのです。

マッケルウィーの弁護人によると、原因は飲酒にあり、本人は反省して警官に謝罪を済ませ、その山に登ることを約束しているとのことです。

来月にも出頭予定で、それまでに山に登ったことを証明するため、判事が用意した質問に答えなければならないそうです。

標高でいうと特別高すぎるわけでも、低すぎるわけでもなく、反省を促すにはちょうどいい気がするユニークで変わった判決ですよね。

果たして登山後の彼に、心境の変化は生まれるのでしょうか。


(らばQより転載)


クローパトリック山について、別の機会があれば詳細を書きたい。
8月1日に行われるロホナサ祭で、アイルランド人が裸足で登山することで有名な山であるが、我輩が今回、それ以上に興味を持ったのが、

「メイヨーへ帰れ(go back to Mayo)」

という台詞。



Mayo…ねえ。
アイルランドの独立革命歌(Rebel Song)を長く研究している我輩として、
どうしても思い出さざるを得ない歌がある。
決して古い革命歌ではなく、歌われてからまだ半世紀も経っていないのではなかろうか。
幸い、youtubeにいくつかアップされている。
インターネット時代は本当に助かる。



TAKE ME HOME TO MAYO (BALLAD OF MICHAEL GAUGHAN)
メイヨーへ連れ帰らせてくれ (マイケル・ガーガンのバラード)

(合唱)
Take me home to Mayo, across the Irish Sea;
Home to dear old Mayo, where once I roamed so free.
Take me home to Mayo, there let my body lie;
Home at last in Mayo, beneath an Irish sky.

メイヨーへ連れ帰らせてくれ、アイリッシュ海を越えて、
愛すべき故郷のメイヨーへ、かつて自由に駆け巡った土地へ。
メイヨーへ連れ帰らせてくれ、そこで私の亡骸を葬ってくれ、
故郷で永久に寝させてくれ、アイルランドの空の下で。

1.
My name is Michael Gaughan, from Ballina I came;
I saw my people suffering and swore to break their chain ;
I raised the flag in England, prepared to fight or die ;
Far away from Mayo, beneath an Irish sky.

私の名前はマイケル・ガーガン、メイヨーのバリーナ村からやってきた
国民が苦しみ嘆き、束縛の鎖を破る誓いを立てていた。
英国に反抗の旗を掲げ、私は戦い死ぬことを
メイヨーから、アイルランドの空の下から遠く離れて誓ったのだ。

(合唱)

2.
My body cold and hungry, in Parkhurst Gaol I lie;
For loving of my country, on hunger strike I die --
I have just one last longing, I pray you’ll not deny;
Bury me in Mayo, beneath an Irish sky.

パーカスト刑務所に横たわり、私は寒さと飢えで死んだのだ。
愛する故国のために、ハンガーストで私は逝ったのだ。
私の最期の望みを、どうかあなたは拒絶しないで欲しい
私の亡骸をメイヨーに、アイルランドの空の下に埋めて欲しい。

(合唱)



曲は我輩が調べた範囲で、17世紀からのアイルランドの民謡。
アイルランド移民と共に、この曲はアメリカに渡り、南北戦争時代にいろんなバリエーションで使われていた。
詩の出所は不明。SEAMUS ROBINSONなる、アイルランド独立革命家が作ったとも言われいるが、ROBINSONが死んだのは1961年。
この歌で歌われている Michael Gaughan が死んだのは1974年で、整合性がない。恐らく、Rebel Songの典型例として、パブなどで歌詞が継ぎ足しされて完成されたのであろう。
あるいは昨年亡くなったベルファーストの音楽家 Seamus Robinsonのことかもしれない。それならい整合性がある。
ええい…同じ名前の人が、ちらほらしてくるから、この種の調査って面倒くさい。
和訳は、相変わらずの我輩の拙訳ですまない。

Michael Gaughanは1950年、アイルランドのメイヨーで生まれ、大学卒業後、英国まで職探しに行ったが、IRAに参加。銀行襲撃などで逮捕された後、パーカスト刑務所に収監、そこでベルファーストで独立闘争をしていた同志と集合し、以下の5つの刑務所での政治的要求を求め、ハンガーストライキに入った:

政治思想と立場の自由。
自分自身の服を着ることの自由。
独居房での監禁を行わないことの保障。
懲役ではなく、教育を受けることの権利。
英国ではなく、アイルランドの刑務所への移送。

ハンガーストライキは、刑務所におけるIRAの政治闘争の手段となった。
一年間に500人前後がハンストにより死亡した。
Gaughan自身は、政治資金のために、銀行強盗を行ったというきちんとした理由があり、我輩自身はあまり興味を抱いていない人物であるが、前述のベルファーストで理由なく捕縛された人たちについては、深い同情を抱いている。そして、彼らの多くが、これらのあまりにも当たり前な権利を要求し、飢えと渇きの地獄に身を置き、国の将来を夢見て昇天していった。
立場が違う。
だが、Gaughanが有名になったのは、彼の最期に発した一言に因るものだった。複数の証言者がいるから、信じるに足るか判らない。プロパガンダとして作られたものかもしれない。だが、我輩は素直に信じたいと思う。

「Bury me in Mayo」

と。
尤も、別の遺言があるが、そっちは割愛してもいいかな。
調べれば直ぐに出てくるし。

で、Gaughanの死の後、英国政府は5つの要求を受理すると発表したが、直ぐに覆されて、泥沼に…。



にしても、「メイヨーに帰れ」って、泥酔状態ながら言ったというのは、相当この歌が、現地で有名なのか。あるいは、政治的な何かがあったのか(今でもアイルランド国内でも、わだかまりが残っている)。
でもまあ、いい歌じゃないか。
今宵も一人、我輩がこの世で最も愛しているウィスキー「ジェムスン12年」と共に、聴き、歌うとするか。

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