初詣に行っていないことを思い出し、掃除を休んで息抜きに浅草寺まで。
小さい頃によく連れて行かれ、カトリックの信仰から離れている現在、会社近くの聖観音宗のお寺まで週一回参拝しているが、やはり総本山に行かないことには、な。
にしても混雑っぷりは相変わらずだ。
各地の神社仏閣に油を振りまいているキチガイ集団がいることもあって、警備もそれ以上に物々しい。
だが海外からの観光客に人気であることに変わりはないようだ。
あと、地方からの修学旅行生の団体でごった返している。
昔からの参拝客、地元の人にとってこの状況は、どんなものだろうかな。
とはいえ、仲見世は海外観光客向けに色々と工夫をしている。
多くの店では軒先に、「ハラル」のマークを吊り下げている。
確かにインドネシアやマレーシアからの客が多い。
着物コスプレというのだろうか、それを楽しんでいる海外観光客が多い。
おお、一家7人で着物…話している言語の雰囲気からすると、タイから遊びに来ているようだ。
意外と少なくなったかな…と思えるのが、支那関係か…まあ、日曜日であるし、行き先はむしろ電気製品量販店とかであろう。
脇の八重桜の下で、たくさん撮影をしている。
欧州系の観光客の特徴は、季節を問わないTシャツ姿、馬鹿でかい一眼レフ、ボロボロのリュックにヨレヨレの野球帽、参拝客をまるで野蛮人じゃないのかと見下す視線。日本に限らないんだよな、台湾でもマレーシアでも香港でもどこでも、仏教、ヒンズー、イスラーム、神道の寺院マスジド神社でも、ああいう傲慢な態度なんだよなあ。
カトリックから少し距離を置いている理由の一つがこれだったりするんだけどね。
いや、海外宣教師じゃないんだよ、国内の教会の神父にしても牧師にしても、多宗教を見下す態度に何度も触れてて、ああ、こういう連中が「共生」とかほざいているんじゃあ、おさとが知れる…てな。
まあ、どうでもいいかw
本堂に上がり、初詣に来なかったことのお詫びを含め礼拝。
ろうそくを数本立てて、ふと見渡すと、いくつかの集団がそれぞれに、ものすごく真剣な態度で礼拝してたことに気付いた。
肌色は日本人のそれではない。
黒い肌色をしている集団は、女性が独特の衣装、サリーを着込んでいたことから、インド(もしくは周辺国等)からのヒンズー教徒であると理解できた。
少し離れたところにいた集団が熱心な祈りを捧げたあとで、満足そうな笑みを浮かべながら色々と仲間内で話していた。言語の雰囲気は、ミャンマーか、もしくはラオスかのそれであった。
礼拝を終えた別の集団は、本堂から出た後、石段の下で立ち停まり、本堂に振り返ると、合掌の手を鼻先に置き、懸命に祈る姿が目に入った。ガイドの旗にタイ語らしい文字がプリントされていた。ガイドも一緒になって祈ってたが、その中の60歳くらいの女性の祈る姿に、何とも不思議な共感を抱いた。
本堂に対して見据えるような真剣な目で合掌しながら、無言で祈ってた。
しばらくして目を閉じて、深々と合掌したままおじぎをした。
他のタイ人観光客らが、少しバラバラとなり始めても、おじぎからしばらく戻らなかった。
やっと元に戻り、ガイドに何かを言って、団体は仲見世通りへと歩みを進めていった。
今時、あのような真剣な祈りをする人は、そういない。
しかもまた驚いたこと。
我輩も参拝を終え、お守りとかをいただき、さて駅に向かおうと仲見世通りへ進んだら、その女性と、おそらく女性の家族だろうか…仲見世通りの途中で本堂に向かってまた合掌し、祈っていたのだ。
タイは上座部仏教で、日本の大乗仏教と違い、釈迦如来への礼拝がメインとされている。
観音菩薩は、言い方は悪いが、大乗仏教のアイコンである。
だが、あのタイ人の祈りには、そのような差異は一切存在しない。
救いを求めて祈るのではない、祈ることは既に救われているということであれば、宗派も祈りを捧げる対象も意味はしない。
悟りとかもへったくれもない。
ムラムラと「うちの宗教を信じれば、救われる」とか言う人間が目の前にいたら、顔面に一発食らわしたくなってきた。
正月の初詣で神田明神まで参拝した時、大黒様の神像の前で熱心に祈るインド人家族を思いだした。
KLの有名な関帝廟で、深々と祈るマレー人少年の姿が脳裏を過った。
曹洞宗の禅寺で研修し、帰国後もベッドで座禅を組む修道士の話があった。
ただ祈るその姿に、なぜ我輩は深く感動してしまったのだろうか。
教義や宗派に拘泥することは、そのまま自ら求める救いから切り離されることを意味しているのではないか。
神に会えば神に祈る。
仏に会えば仏に祈る。
それで十分ではないのか。
我輩は今も目をつむると、あの女性の祈る姿が、虚空に浮かんでいるのが見えるのだ。