音楽については素人であるが
- 2015.03.30 Monday
- 22:23
JUGEMテーマ:音楽
会社の同僚で、仮に”P”さんという方、実はインディーズ系においてなかなか名が知られている。
仕事帰り、一緒に飲んだり騒いだりしているが、そんな付き合いで先週土曜日、同氏主催のライブチケットをいただき鑑賞した。
かつては劇場やコンサート等を巡るのが趣味だったのだが、久しぶりに生の演奏が聴けて、本当に楽しかった。
スタジオハウスもアットホームな雰囲気で、居心地の良い時間を過ごすことができた。
残念なことは、ここに来る途中、渋谷駅付近でまたまたヤクチューっぽいチンピラに絡まれたこと(大声で何か喚き、口から泡を吐きながらいきなり胸倉掴まれた締め上げてきた)と、最後まで鑑賞したかったのだが、狭心症の発作が発生し、残り30分前にして後ろ髪引かれる感じで退席したこと…
ちなみにチンピラに関しては、顎を思いっきり押し出し、ビルの壁に叩き張り倒して、逃げた。
あ、だから不整脈になったのかw
口パクではない、魂から歌うアーティストの姿を観ていて、勇気が少し湧いてくるものだ。
限られた生活の中で、必死に活動をする彼らの姿は、正直危なっかしい。
将来への保障は一切ない。
「ノーフューチャー」というキーワードが、そういえば漫画家の桜玉吉翁が良く作品の中で書かれているが、そのギリギリまでの生き方に、不可思議なカタルシスを感じるのは、何故だろうか。
それにしてもやはり、皆さん巧いな…。
オリジナルの歌、どれもこれも初めて聴くものだ。
切ない故郷を呼ぶ歌、声を張り上げて自分を勇気づける歌、幼い自分の娘への親からのラブソング…どれもこれも、共感深い。
でも、ふと思ったことがある。
我輩は音楽に関してズブズブの素人である(クラシック音楽とか三線は、ま、おいといてw)。
どれも素晴らしい歌だ。
ここでお世辞を書いたところで、我輩が得するようなことはない。実際、聴いてて感動する歌なのだ。
ただ、どれもこれも、内容がストレートすぎるのだ。
どういう歌が売れるかは、我輩にそんな感性があるはずがない。
売れる歌は、どのようなドラマやアニメの主題歌になったかという関連性についても、ここで語るつもりは毛頭ない。
ただ、何となく街中やテレビ等で流れてくる、売れている歌の歌詞をほどくと、崩れた日本語、成立しない言葉の羅列が存在している。
たとえばあまりにも有名なこの歌…歌詞を追っていくと、何を言ってるんだ??? …と混乱してしまう。
それでも名曲として、売れる歌として、誰もが認めている。
意味をなさないのに?
いや、我輩が考えるに、売れる歌というのは、アーティストの感情を直接的に歌詞に並べ立てるものではなく、聴き手個々人が、自分の好きなように解釈できる”余裕”と、混乱させる”無意味さ”が混在しているようなものではないか…そう思えてしまう。
歌だけではない。
社会現象になった「エヴァンゲリオン」だって、尤もらしい似非専門用語を尤もらしく散らばせたことで、観客側が様々な解釈し、解釈を重ねることで混乱することを楽しめたから、売れたのだ。
だから我輩はどうしても、今の”売れている”コンテンツに対して、強烈な違和感を抱いてしまうのだ。
このライブを楽しめた理由は、ここにあったのかもしれない。
と同時に、日本語文化は随分を貧困になったものだとも思った。
また聴きに来よう。