ありゃ、この本、絶版になってるんだ。
大きな書店へ行けば、もしかしたら埃をかぶって在庫として残っているかもしれないが、なかなか興味深い内容に溢れている。
有史以来、死刑はあたりまえのように行われた刑罰であったが、それぞれの時代、それぞれの国によって違うのは、死そのものが刑罰なのか、死に至るまでのプロセスが刑罰なのかについてである。
また死刑制度のある国において、適切な法律と司法によって裁かれている場合とそうでない場合では、その処刑風景もまた大きく違ってくる。高度に整備された国の処刑は、システマティックであり、一定のマニュアルに沿って手際よく行われている。動画サイトで、ショッキング映像として死刑の様子とかアップロードされているが、粗雑な光景しか見ることができない。青ざめた死刑囚(死刑となった理由についても、きちんとした司法手続きが一切取られてないから、わけがわからない)を振り回し、跪かせたかと思ったらまた立たせ、しばらく歩かせた後、背後からズドンという、まあ、原始人のカニバリズムの様子と変わりないな…もっとも、第2次大戦後記のパリ解放時では、多数のコラボラシオンもまた、司法を通さずに、街灯に吊るされたりしたけどね。
上にチラっと書いたが、刑罰としての死刑を法律において有している国において、注意を払わなければならないことがいくつか存在する。死刑執行まで、死刑囚を心身ともに健康な状態にすること。米国等では、最後の食事についての配慮というのがある。これはもともと、中世ドイツからの伝統で、「たとえ市民全員が飢餓に瀕しても、死刑執行人は死刑囚に対して、満足いく食事を供する義務がある」と法典にあった。もっともその法典にはオチがあって、「たとえ死刑囚が食欲がなくとも、死刑執行人は、無理やりにでも死刑囚の腹の中に御馳走を全部詰め込む義務がある」。死刑囚を「飢えさせない」とするのは、古代ゲルマンにおいて、飢えた状態のまま死ぬと、亡霊は悪霊と化するという考えから来ている…とかそんな学説があったりなかったりと、これ以上書いたらキリがないな。w
日本には、この「最後の晩餐」という制度はない。以前はあったが、執行前日に死刑囚が自殺してしまい、それ以後、当日、いきなり執行ということになって、ちょいとこれは残酷じゃねーかなーと。自殺を防ぐのであれば、刑務官が執行24時間前から監視するという、テキサス州等のシステムを導入すればいいのでは…と。まあそれも書きはじめると、長くなるな。
もう一つ重要なことは、死そのものが刑罰であるということ。
死刑囚に苦を与えることなく、一気に死なすことだ。
この本では、1/3がこれについての考察で占められている。
古代から中世にかけては、最終的に殺すことが目的であるが、それに至るまで、どのようにして死刑囚を苦しめるのかが重要であったとしている。
イエズスキリストの磔刑など一番良い例だ。両腕の手首と踵に釘を打ちつける処刑方法だが、失血死による死刑だと勘違いしないように。力を失い、だらりと垂れ下がった状態だと、横隔膜が押さえつけられ呼吸ができない。そこで、上体を起こして呼吸しようとすると、両腕両足に激痛が走る。結局支え切れることができなくなり、窒息死、あるいは心筋梗塞を起こす。キリストの両脇の死刑囚が、とどめとして両足を折られるシーンがあるが、あれは上体を持ち上げさせなくする、つまり呼吸できなくさせるための、”慈悲の一撃”だ。
観衆に対して、「神殿を冒涜する者は、コソ泥と同じように殺される」という見せしめとしての死刑でもあった。死へのプロセスをどのように恐怖溢れるものに演出するのかが重要であった。
中世欧州の「車裂きの刑」もそんなものであった。
車輪、あるいは十字に組み合わされた木に死刑囚は両足両腕縛られ、こん棒で四肢が粉砕され、最後に胸部を殴打する。その後、高い棒の先にあげられ、死ぬまで放っておかれる。胸部を打たれても死なないワケだから、数日間、うめき声が処刑場、晒し場から聞こえたそうだから、これもまた同じ理由であろう。
車輪に縛られたのは、古代ゲルマンの太陽神ユールに対して奴隷を生贄として捧げた名残だとする説もあるが、これもどうでも良いな。
中世欧州に限らず、全世界で他にみられたのが「牛裂きの刑」「飢餓刑」「火刑」、アジア等で多く存在した「凌遅刑」…なるほど、並べれば並べるほど、それらは「死刑」と簡単にまとめられるものではない。あえて言えば「決められたプロセスを通して最終的に殺す刑」かな?
やがて、絞殺刑絞首刑と斬首に方法は絞られ、そこに科学文明の発達と共に新たな「銃殺刑」や「電気椅子」「ガス室」などが加わり、20世紀の終わりになると、薬による「薬殺刑」がトレンド(?)となった。
効率が求められたこと、公開での死刑が行われなくなったこと、何よりも死そのものが刑罰ではないかとやっと気づいたことにある。
ギロチンによる斬首は行われなくなった(ただし、剣による斬首は、サウジアラビア王国で続行されている)。
絞殺刑のシンボルであったガロットは、スペインにおけるフランコ政権が終了した段階で博物館へと運ばれた。
絞首刑は全世界においてもっとも行われている。但し、縄の結び方等は、国によって違う。
米国では州によって、死刑囚が処刑方法を希望することができる。
薬殺刑についても、米国の各州によって内容が違う。3種類の薬を段階的に注入するか、いきなり死に至る薬を入れるか、注射針を挿しこむ執行人についてもバラバラ。
21世紀になってこの薬殺刑が一番理想とされていたが、
失敗するケースもまた多い。新しい薬を使ったからというのがあるが、他に死刑囚が麻薬経験者であったことから何等かの理由で効き目が悪かったという理由もある。
この為、従来の死刑方法に戻すべきだという意見が、クローズアップしている。
だがここにもう一つの問題がある。
コストの問題だ。
薬殺刑が米国において広まったのは、絞首刑、ガス室、電気椅子と比較して安いというのが理由にある。
正確な費用は州によって違うが
電気椅子>ガス室>薬殺>絞首>銃殺
だとのこと。
じゃあ絞首刑は…とあっても、さっきチラっと書いたが、米国の絞首刑は「ロングドロップ」という方法で、「効率的」ではない。ちなみに日本は、英国式であるが…まあこれも書くと長くなるな…図書館でこの本を見つけて読んでみてねw
銃殺というのも安いが、実際のところ、一瞬にして死なすことができないのが問題。
撃つ側の腕前や経験というのがある。
フランス式の銃殺刑では、トドメの一発を頭に向けて撃つというのがあるが、他の国においてそれが見られない(あるのかもしれないが、ケースバイケースか?)。処刑場で、その一発を撃つのは誰なのかというのも問題になる。
結局のところ、完全な方法は現時点で存在してないということになる。
そこで我輩の拙い考えを一つ…。
富士山頂並の気圧に…死者が出た「減圧室」とは何なのか?
大変痛ましい事故である。でもそれ以前に、減圧室がどうして健康増進に繋がるのか…その意味が分からない。
本来は潜水病となった人を治療するためのもので、健常者がわざわざ人工的に、富士山並みの気圧の環境に放り込まれて健康になるという科学的論拠が見られない。
てか、登頂した我輩として、「一度も昇らぬ馬鹿、二度も昇る馬鹿」という諺どおりに、気圧の低いところって長時間いると、マジで死ぬ…。
うん…
じゃあ、新しい死刑方法として、「減圧室」というのはどうだろうか?
8000メートルは人間が生存できる限界域で、酸素補給なしに数日間いると死亡する。
そのため、エベレスト等を目指す登山家は、2週間以上かけて5000メートルのベースキャンプで体調を整える(その5000メートルであっても、高山病で命を落とす人も多数いる)。
(以下、この本での書き方をまねて)
死刑囚はまず「減圧室」の前まで連れて行かれる。
そこで刑務所所長より死刑に関しての最終通達を行う。
死刑囚は遺書を書く時間を与えられ、用意された茶菓子や煙草を勧められる。
仏壇の前には焼香台が用意されている。この仏壇は裏返すと十字架が納められた台となる。
特に抵抗がなければ、刑務官に誘導され、減圧室内部に通される。
中には固定された木製の椅子があり、死刑囚はそこに座らされる。
両腕両足が革ベルトで固定され、胸に心電図を計測する機器が取り付けられる。
準備が整うと、最後の言葉を述べる機会が与えられ、死刑囚一人を置いて、刑務官全員が減圧室から退出する。
刑務所長の命令で、一気に高度1万メートルの気圧状態に下げられる。
内部を確認するカメラを通してモニターから、死刑囚が一瞬にして気を失う様子を見ることができる。
心電図の波形が瞬時に棒状となり、法務医官が臨終の宣告を行う。
その状態で1時間、死体を減圧室の中にとどめておく。
…書いてて、この作家の精神力の強さに恐れ入ったよ。
我ながらの馬鹿の考えだが、こう客観的に書くと、あまり気持ち良いものではない。
が、何度も書いている通り、「死」そのものが刑罰であるならば、様々なところから、理想に近づける努力というものが必要だ。
また、電気椅子という死刑もまた、19世紀におこった電気事故がヒントとなって、エジソンの悪企みでできたものだ(ライバルを蹴落とすための策略だった)。
何とも皮肉なものだな。