あさま山荘 上九一色村 そして
- 2013.09.30 Monday
- 21:11
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1972年2月、新左翼に属するテロリスト集団「連合赤軍」が、河合楽器の会社保養所を占拠、保養所で働く女性を人質に10日間立てこもった、「あさま山荘事件」というのがあった。
警察官2名、民間人1名が犠牲となり、全員逮捕で解決されたかのように見えたが、その後、操作を進めていくうちに、榛名山一帯で、このテロリスト集団による内部リンチ連続殺人事件が炙りだされた。
「総括」という名のもと、リーダー格の永田洋子元死刑囚(獄死のため)、森恒夫元死刑囚(自殺のため)、坂口弘死刑囚、坂東国男(逃亡中)らが、「革命」の名のもと実際は個人的な嫉妬などで次々とテロリスト仲間同士を殺していった。
かつてソ連という悪夢を作ったレーニンは、「革命」を成し遂げるいかなる手段も「正義」とされると定義した。
いかなる殺人も、「革命」のためであれば、許されて当然だという考えだ。
レーニンの「革命」は、無辜なる国民を大量虐殺することと同義だった。
主犯格の森恒夫自身、逮捕される一年前に、「M作戦」なるものを通して、郵便局へ連続強盗を働いた。
これらのテロリストによれば、強盗は「革命」のためであるから、「正義」だという論法になる。
それから約20年後の1995年3月、東京都心でサリンによる大規模テロ事件が発生した。
世に言う「オウム真理教事件」だ。
我輩は当時の事をよく覚えているが、それはまた別の日に書くとしよう。
この事件がきっかけとなって、警察が当時、オウム真理教の本部があった上九一色村に突入した。
やがて出てくる、数多くの内部リンチ、そして外部に対する連続殺人。
教祖で主犯の松本智津夫死刑囚は逮捕前、「ポア」という言葉を多用していた。
元来はチベット仏教における「Phowa」で、死後、仏界に転生することを意味し、その為の修行がある。
どんな修行なのかは不明であるが、これを行うことで、死に際して一切の不安や恐怖が消えるといい、修行が成功した証明として、頭がい骨に小さな穴ができるらしい。
チベットでは、その穴に草を一本挿し込んで証明する。
その証拠については、youtubeにあったので…
…個人的に、「マジっすか?」としかw
だが松本死刑囚は、教団の反対者を全員「悪業を積む者」と定義した。
そして「悪業を積む者」を殺すことが、教団における「正義」とされた。
Wikiにも、連合赤軍の「総括」と類似していることが指摘されているが、ここに共通にしているのは、狭い世界を全世界と信じ込むことで、自らを「正義」とし、反対するものはすべて「悪」だとし、殺人という暴力を厭わない幼児性にある。
「正義」の定義は個人によって大きく違う。
だが、国家において必要なのは、国家としての秩序が保てられるか否かにある。
そのため、国によって違うが、あらゆる手続きを通して「正義」が条文化される。
それが「法律」だ。
「法の下での正義」というのは、実に簡単な図式であるが、画期的な考えであり、一部を除外して殆どの国がこれを実践しているし、これを拡大させた国家間の条約等もまた、法を重んじる国同士が共通して依る「法の下での正義」があればこそ成立するものである。
その「正義」を保障する「法律」に異議があれば、たとえば日本では、様々な方法がある。
裁判所に訴える…これが一番の方法だ。
「法律」の根本にある憲法などに違反すると考えたら、裁判所で争えば良い。
国会の様々な委員会への請願という方法もある。
国会議員は、国民からの声を受け入れ、国会に提議するのが職務であるが、まあ、あまり通らないんだよね。難しいのであれば、地元の市議会に対して、支持する市議会議員に請願して、条例などから始めるというのもあるが。
あとは選挙だ。
現行の「法律」がおかしい、「正義」に沿わないと考えるのであれば、その「法律」を変えると約束する、あるいは努力する候補者に一票を投じれば良い。落選する場合は、その考えがまた浸透していないということを意味するから、その落選候補者と共に、あるいは個人、有志と共に、世間に主張するということが、この日本では保障されている。
そしてこれらの国々において共通しているのは、暴力やテロ、殺人、脅迫により、自らの主張を「正義」とする個人や団体は処罰の対象とされることだ。
「革命」を叫ぶのは自由だ。支持者は皆無だろうが、「法律」ではそれを叫ぶ自由が保障されている。
だが、レーニンが夢想した「正義」でその「革命」を行うとするならば、「法律」に基づいて処罰されなければならない。
何故なら「法律」では、テロ活動は一切許されていないからだ。
あたりまえだよね?
日本には信仰の自由がある。
ただし、明確に個人の生命や財産を奪うことが教義にある場合、反対者を殺すことが信仰だとするならば、司法は黙っているはずはない。
あたりまえすぎるよね?
なんでこんな当たり前のことを忘れて、いい年齢こいた議員が、松本死刑囚と同じことを言っているんだろうね?
そもそも「レイシスト」に関する法的定義は?
そして「暴行が許される」という法的根拠は?
日本国は何度も書くが、法治国家である。
「法の下での正義」が根本にある場合、立法府の一員としてそれを率先して守る義務があるのだが、その義務を放棄することを宣言したのであれば、議員辞職しなければならないのだが?
日本国憲法第99条(憲法尊重擁護義務)
天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。
とある。
さらに
日本国憲法第31条(適正手続の保障)
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
とあり、さらにさらに
日本国憲法第36条(公務員による拷問、残虐刑の禁止)
公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。
国会議員は「特別職国家公務員」であるが、まあヨシフ君、自らの手を汚さずに、テロリストや暴力団に依頼して逃げようとしているが、まさか刑法第61条をご存じないはずはないよねえ?w
あさま山荘、上九一色村から全く進歩していないというか。
いや、進歩を最初から拒否しているのは確かだ。
共通しているのは、
俺様はこの世において特別な存在だ。
でも世間が俺様のことを認めようとしない。
昔はあんなにチヤホヤされていたのに、何でだ!
そうだ、世間が悪い!俺様を認めようとしない社会が悪い!
こんな世の中をファッキュー!破壊しまくって殺戮しまくるぜ!
法律に従うつもりなんざ、これぽっちもねえんだよ!俺様に従わないお前らが悪い!
という幼児的な流れだ。
もがけばもがくほど、認められようとしなくなり、内部でお互いがお山の大将を主張しあい、惨めな末路を迎える。
あれ?
特定アジアと似ているね、不思議w