JUGEMテーマ:学問・学校
基本的に我輩の学習方法は、復習と問題を数多く解くことがメインだ。
とりわけ職業訓練学校時代、ビジネス法務など未知の領域において、この学習スタイルを貫いている。
講義を受ける前に、テキストをコピーする。
講義に集中して、先生の一言一句を聞き逃さない。
一応、ICレコーダで録音はしているが、あくまでも保険。
また単にメモを取るのではなく、できる限り図にする。
左脳で単純記憶するのが苦手な我輩として、できるだけ図形、グラフなどで把握すると効率よく暗記できる。
多少文字が汚くてもよい。
矢印や記号を駆使して、筆記での負担をなるべく軽くする。
帰宅後、忘れないうちに復習する…この場合の復習は、清書に近いものがある。
講義の内容を思い出しつつ、別のノートに綺麗に書き写す。
乱雑な図式などは、定規を使って整える。
テキストで下線部を引いた箇所のコピーを切り、清書ノートの重要な個所に貼りつける。
少しばかり漫画を描きくわえて、脳みそ休めをする…これ、結構重要。
できあがった清書復習ノートを、今度は自分が先生になったつもりで、見えない学生に向かって、声を出して”講義”する。この時、ICレコーダに吹き込み、通勤通学中の時間に聞く。集中しなくとも、聞き流すだけでも結構脳に入る。
ある程度講座を進めた段階で、更なる復習のために、練習問題や過去問などをコピーして、一日中、数多く解いていく。
間違ったところについて、復習ノートに赤ペンで”気を付けて”マークを付ける。
これが我輩が高校生の時に確立した、自分だけの勉強法。
当時、科目ごとに少し違いを持たせたけど、だいたいこんな感じ。
世界史では重要な年を200弱だけを押さえ、それらを基準に、「○○事件は△△△△年の3年後」という方法で暗記した。あらゆる歴史の出来事について、文章ではなく、脳内で”映画”にした。おかげで、史実とは違うかもしれないが、我輩の脳内で一番派手な演技をしてたのが、ガリバルディ将軍だったりする。w
古文はスパルタ教育のおかげで、今でも難なく読めるが、それでもそこに至るまで、助動詞を中心とした文法を徹底的に習得し、あらゆる場面を極力映像として再現するように心がけた。本居宣長などの学者の文章は、そのため逆に難しかったが。
文字のみとはしない、音声、脳内で構築される映像、ノートの簡単ないたずら書きが、我輩個人の学習効果を高めた。
しかし、この学習方法について、決して我輩は他人に勧めない。
何故ならば、これが万人向けだという保障はどこにもないからだ。
ただ、我輩として、自分だけの学習方法を見出したことは、一生の宝であると深く実感している。
この方法を発見し、自分のものとしたおかげで、この年齢になっても、法律などを楽しく勉強できるからだ。
この疑問について、ツィッターにおいて既に2つの理由を答えとして出した。
両方とも自信たっぷりに言える。
昔、今の北海道大学の前身である札幌農学校で、初代学長のクラーク博士が、学生たちに何故に勉学をするのかについて、問うた。
時代が時代故に、青年達は国を繁栄に導いてどうのこうの…と目を輝かせて自説を述べ合ったが、それらの言葉にクラーク博士は頷かなかった。
では、クラーク博士は、何故に勉学するのかについて、答えを述べた。
「富を得るためだ」
さぞかし学生たちは、そのあまりにも下世話な答えにがっかりしたことであろう。
でもこれは真実だ。
ただし、クラーク博士の述べた富とは、個人の富と合わせ、国全体の富、公共の富、個人の豊かさと全体の豊かさのバランス、法、秩序、道義に基づいた富を意味するのだ。
…って、教わったけど、いいんだよな?
単に博士も、六本木のGREEDな馬鹿と同じことを言ってたんじゃないよな?
帰国後、鉱山開発で失敗し、破産したんだよな、この人…。
まあ、そういう馬鹿なことに手を出して自己破産しないこと、
法律を犯して金を得るという犯罪行為をしないためにも、
勉学は必要だと、無理やり収めるとするかw
もう一つが、今迄述べた通り、自分なりの勉強方法を発見するために、勉強をするのだ。
はっきり言って、学校における教材内容は、どれ一つ社会において、直接役に立つものはない。
卒業すれば、全部忘れても、特段困るというものはない。
ただ、どのようにしてそれらを学び、成績を伸ばしたか(あるいは逆に下がってしまったか)、そのためにどのような勉強方法が自分に向いているのか、あらゆる方法を試して、発見する貴重な時期であるのだ。
無論、教材の中に、後の人生に役立つコンテンツも多い。
和歌、俳句、漢詩を暗記し、世界史の基礎知識があるから、人生結構楽しくなる。
でも、それ以上、人生は一生涯、勉強しなければならない。
我輩もこの年齢になって、法律を学び始めているが、若輩の頃に見つけた”一生の宝”がある故に、苦労を少しも感じない。
何度も言おう。
子供たちよ、青年たちよ。
今、何を学んでいるかが重要ではない。
それらを学ぶための、自分だけの術を見つけ、一生のものにすることこそ、「勉強をしなくてはならない」という疑問への、我輩が自信もって言える答えだ。
以上、教職員免許ホルダーから。w