常に死を思うこと
- 2012.12.31 Monday
- 22:35
JUGEMテーマ:日記・一般
大晦日、コミケまでサークル参加。
本当は三線本を出す予定で、下書きまで出来てたのだが、
心臓の回復が果々しくなく、お詫びのコピー本を一冊だけ用意して、
無料配布した。
印刷製本してくれた鷹に、感謝の言葉を尽くしても足りない。
また、サークルまで遊びに来た皆さんにも、ありがとうの言葉を捧げたい。
ゲーム業界から完全に引退した身であり、
いわゆるオタク文化のコンテンツの制作に一切関わることができない身となった者としても、
気を使っていただくご厚意は、本当にありがたい。
それと共に、未だに癒せない寂しさも否定することはできない。
新しく生きる道を選択しなければ、死んでもおかしくないと強く説得され、それに応じたものの、その一方で、死ぬことに怯え、ゲームを作ることを断念するほど、我輩の決心はそれほどまでに弱いものだったのか…慙愧の念から、まだ離れることができないでいる。
そして離れたことで痛感した、業界のあまりの脆弱さ。
「存在しなくても困らない」という、経済における鴻毛の如き軽さを。
躍らしているようで、実は躍らされているという実情を。
我輩はどこに行けば良いのだろうか。
今年はあまりにも我輩自身、激しく物事が動いた一年であった。
三月に心臓病で倒れ、ICDを埋め込んで障害者となった。
七月にゲーム会社を辞め、業界におけるすべてのキャリアに終止符を打った。
八月に部屋の中にある、ありとあらゆるゲームに関する物全てを破棄した。
九月に大手電子部品メーカーで、法務のオフィサーとしてキャリアを始めた。
不満はない。
法務の仕事は、性に合っている。
ビジネスにおける法務の意義、その使い方の一つ一つに興奮している。
同時に、ゲーム業界において、法律が如何に無視されているか…ということも、痛いくらい知った。数点の証拠となる文書があれば、弁護士を立てずとも、我輩がズカズカと不法行為を訴えて、勝訴できる…大げさだと思われるかもしれないが、それほど、ゲーム業界は、基礎の基礎、基本の基本さえ、法律を守っていないのだ。
いや、ゲーム業界だけでなない…オタク文化全体がそうである。
だが、もう関わりたくない。
不法行為が無反省に続くのであれば、無視しておきたい。
関心がないのだ。
我輩はどこに行けば良いのだろうか。
弁護士を目指すのは、無理だ。
そんな脳味噌は持ち合わせていないし、心臓への負担を考えると無茶だ。
法律、判例などの論理的な組み立てはとても面白いし、ケーススタディを通して自分なりに考えて、答え合わせをする時が一番ワクワクする。
法務に詳しいおっさん…てなスタンスで良い。
だが、それだけでいいのだろうか。
我輩はどこに行けば良いのだろうか。
何よりも、我輩はいつ死ぬのか。
数秒後にICDでは回復できない発作が生じる可能性がいつでもどこでも存在している。
死神と共に人生を歩くことがはっきりとしている。
無二の友達であるのだが、その瞬間がいつなのか、教えてくれないところが意地悪だ。
「勉強が無駄になる」と言ったのだが、
「人生、合理性だけで、全部片付けるつもりか?」と返された。
面白い。
我輩が二〇年前、同級生に対してほざいたセリフが、まさか死神から聞かされようとは。
「我輩はどこに行けば良いのだろうか」という問いを投げかけようとも思ったが、返ってくる答えに満足してしまい、腐っていく自分が予測できたので止めた。
それが良い…と、死神が微笑み返してきた。
常に死を思うことこそ、我輩の進むべき道なのかもしれない。
「どこ」という答えは、歩む道が自然と導いてくれる。
これからも、死の瞬間まで。
みなさま、良い年を。