今日は「宗教『改革(笑)』の日」
- 2009.10.31 Saturday
- 23:41
今から492年前、一人のドイツ人修道司祭が、当時のローマ・カトリック教会が発行していた贖宥状(教科書では、「免罪符」と記載されている)をめぐって、ヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に『95ヶ条の論題』なるパンフレットを貼り、厳しく批難し、「聖書に帰れ」という理想の元、宗教改革を起こし、やがて欧州から米国に至るまでの大きな歴史の変化を生み出していった。
ルターの精神がやがて、カルバンへと引き継がれ、「予定説」という、『救いは神の意志によるもののみであり、信者自身、救いにあるのか知る事ができない』とする考えが洗練化され、ピューリタンが生まれ、迫害を逃れてアメリカへと渡ったという「歴史」も、アメリカの小学校で嫌になるくらい学んだ。
そう、世界史で学んだ。
これ以外のことを書いたら、受験で合格することはできないであろう。
一応の公式見解として、こうなっている。
カトリックの影響の強い国々ではどうなのかは、さておき。
離れているが、カトリックの信者だった我輩としても、この歴史的出来事に深い感銘を受け、プロテスタント系の日本基督教団の教会に、一時、通っていた頃があった。
聖書に基づいて、全ての人が祭司であるとする精神が生きていると信じていたのであろう。
たが、高校の頃…クリスマスの礼拝で、牧師の説教に、強い衝撃を受けた。
「神はわれわれをゴキブリのようなおぞましい存在としか見なしていない」
「ゴキブリのようなわれわれ人間は悔い改めても、救われることはない」
「イエスキリストが降誕した今日、キリストを信じても救われない」
「われわれ全員、どんなにキリストに信じ祈っても、地獄に必ず落ちる」
二度と、この教会の門を潜るまいと誓ったクリスマスであった。
『狂ったピューリタリズム』ということを知ったのは、大学に入ってからであった。
原罪のみにおびえる偏った精神と、理性と知識を放棄する『福音主義』という運動を知ったのも、大学に入ってからであった。
まあ、あの教会がその流れにあったことは、今になって調べようがないが、
Sic enim dilexit Deus mundum,
ut Filium suum unigenitum daret,
ut omnis, qui credit in eum,
non pereat,
sed habeat vitam aeternam.
それ神はその獨子を賜ふほどに世を愛し給へり、
すべて彼を信ずる者の亡びずして、
永遠の生命を得んためなり。
ヨハネス福音書3・16
あの説教は、この言葉に対しての全面反対を表明したものだったのか、
それとも、「救われる」ということを「堕落」だと考える
「改革」の一つだったのか。
ヴィッテンベルグ大学の聖堂の扉に『95ヶ条の論題』なるパンフレットを貼り
中世欧州において、学問の自由と自治が許された空間としての大学では、学者や教授、学生が自分の意見を広く知ってもらう場所として、大学付属の教会扉にパンフレットを貼り付けるのは、ごくごく普通の光景であった。
そこには何等、ドラマティックな要素はない。
大学教授でもあったルターが行ったのは、挑戦ではなく、単なる質問であり、もしかしたら、学生たちへの宿題の告知だったとも思える。
厳しく批難し、「聖書に帰れ」という理想の元、宗教改革を起こし、
批判を行ったつもりはなく、ただ、問題提起しただけだった。
「聖書に帰れ」という考えのみではなかったし(事実、ルーテル派の礼拝を覗けば、カトリックの色彩があちらこちらで見受けられる)、また分離するという意志は全く持っていなかった。
なんてことはない。
当時、諸侯や市民からの税収などで潤っていたカトリック教会から、離れたいという意識が強まり、本人の意図に反して、分離しただけのことである。
ルターを保護したザクセン選帝侯の中に、信仰はなかった。
あったのは為政者にふさわしい、冷徹な現実への対応だった。
カルバンへと引き継がれ
カルバンが登場したことって、スターリン、毛沢東と並んで、歴史的悲劇だったんだろうな、と思う。
神政政治をジュネーヴにおいて断行したために、意見の異なる学者や牧師を火刑にかけ、炎の中で絶叫する光景を、窓からうっとりと見入っていたという記録がある。
異端審問はカトリックだけのものだって?
魔女裁判はカトリックだけのものだって?
プロテスタント諸国においても、ヒステリックに虐殺が行われたんだけどねえ…。どっちもどっちで、笑えてしまう。
また、ルター自身も強烈な反ユダヤ主義者だった。
単に、自分の考えに従わず、改宗しなかったことへの苛立ちだったのだが。
欧州から米国に至るまでの大きな歴史の変化を生み
アメリカを生んだ、ピルグリムファーザーズ?
史料を調べた結果、ただの山師ばかりで、半数以上が数年後に英国に帰ったことを知った時、アゴが外れそうになったよ。
「改革」は美名なのか。
「革命」は明るい未来を保障するものなのか。
現実を見ると、これらを叫ぶ者の中には、強烈な独裁への飽くなき渇望が見受けられるのだが…。