あの先輩は、ご存m・・・仕事をしてらっしゃるだろうか
- 2009.06.30 Tuesday
- 23:27
「この会社の裏、料亭だらけだろ?」
目の下に隈を作り、よれよれのワイシャツでウィスキーをあおりながら、「先輩」はクダをまいていた。
「あそこで政治家と、会社のオエライ方々が密談して、ありえない価格で事業とかを買い取ったりしてるんだぜ。知ってるか、山本君…」
20年弱前、大学4年で就職活動を人並みに我輩はしていた。
卒論の担当教官はじめ、同級生から後輩に至るまで
『え?山本が就職?ありえねえ!』
『やめとけやめとけ。おまえ、絶対にサラリーマン、合わないから。』
『エロ漫画描くの、続けるんだろ?』
『断言する、おまえは就職しても半年ももたない』
ばかやろお、2年もったわい(いやそれもどうかと)。
今はどうか知らないが、当時は卒業生訪問から始まり、そこから人事部への推薦が行われ、面接や試験に入ると言うスキームであった。
当時の我輩は、さて、就職するにしても、どこに就職すればいいのかわからないバカであった。
--ああ、やはり、サラリーマンとか、向いていないのかな。
と思いつつも、毎日背広を着て、ネクタイを締め上げては、オフィス街をうろついていた。
当時はインターネットが普及していなかったので、就職部へ行っては、卒業生名簿を開き、
--この会社にアプローチしてみようかな…
と思っては、連絡先をメモし、最初に手紙を書いて、次に電話を受けて、その後、高級料亭か居酒屋、社員食堂という時もあったし、街中の喫茶店で見知らぬ「先輩」から「面接」を受けた。
思い出してみても、色々あったものだ。
卒業生はわずか一人という、日本最大の重工業メーカー。
退職寸前の方だったが、親子以上の年齢差にも関わらず気さくで、個人では入ることのない料亭で「面接」を受けた。
ある銀行に勤めている「先輩」から、喫茶店で「面接」を受けていたところ、突然、隣に座っていたアル中(朝から酒臭かった)のご老人から、世界経済は今後、アフリカに移って云々の高説を受けてしまい、我輩もその「先輩」も面食らい、後で爆笑したことがあった。
別の銀行に勤めている「先輩」から
『来週から大阪本店で2週間研修があるので、戻ってきてからお会いしましょう!』
と電話があった。
二週間後、約束どおり、その「先輩」から電話があり、でかい声で
『いやあ、山本はん!
さっそくやけど、あさって
どっかで茶、しばかんか?』
…関西弁で、やはり伝染するんだな…と思った。
で、出だしの「先輩」は、ある総合商社に勤務されていた。
あまり良い噂のない商社であったが、興味あって手紙を書き送ったら、数日後、電話があった。
「山本君…ここはやめておけ」
…第一声がこれだったもんな…。
それでもお会いして「面接」を受けたいと言うと、すんなりと日付と場所が示された。
赤坂のちょっとシャレた居酒屋であった。
「目印に、会社の封筒を立てかけているから」
時間より5分早く到着したら、その「先輩」はいた。
泥酔状態で…。
「ごめん…でも、酔わずにはいられないし、こんな時じゃないと、酔えないし…」
我輩はどちらかといえば、暴力を振るわない限り、泥酔者には寛大である。
でも、この「先輩」の様子があまりにもすごかった。
仕事を忘れたいが、忘れさせる状況ではない。
酒を飲む自由な時間もない。
今日は「後輩」との「面接」だというので、特別にそのまま帰ってもよいというお達しだそうだが、今、夜の11時なんだけど。
「まさか、酒を飲んでいても、会社に戻れとかって、あるのですか」
「山本君…ウチの会社はね…出社じゃなくって、『帰る』というところなんだよ。」
「この数年間、土日はないし、自宅で休めば上司から怒鳴られるし。」
--でも、その分だけ、給料が良いのでは?
「あのね…他の総合商社と比べたら、半分よ!」
「あとね、上は本当に鬼畜でね…(ヤバイ話ばかりなので省略)」
「バブル弾けた後だから(その時期だった)、もう社内は(更にヤバイ話が続いたので省略)」
開けたてのウィスキー瓶の殆どが、その「先輩」によって飲み干されていた。
「この会社の裏、料亭だらけだろ?」
「あそこで政治家と、会社のオエライ方々が密談して、ありえない価格で事業とかを買い取ったりしてるんだぜ。知ってるか、山本君…」
「オエライ方々は、政治家と何か悪企みをして、裏のKMからハイヤーを呼んで、ほろよい気分で愛人の住むマンションへしけこむ間、こっちはカップ麺をすすりながら(もうなんというか省略)」
事業許可取り消し検討=タクシー大手国際自動車−関東運輸局
別にあの商社がどうだとか、関係ない話であるが、このニュースを知った時、つい、あの「先輩」のことを思い出してしまう。
過労死か、鬱病か。
結局、最終面接まで行ったが、「先輩」が言っていたその「オエライ」方々と会い、判ったことがあった。
ああ、この商社、
潰れるか、買収されるな
と。
まあ、学生とはいえ、あのように人を馬鹿にする連中が、社員を奴隷にするんだろうな。
不合格になったけど、逆にホッとした思い出がある。
その数日後の深夜、その総合商社が入ってる赤坂の本社ビルに対して、立ちションの被害があったようだが(ry
目の下に隈を作り、よれよれのワイシャツでウィスキーをあおりながら、「先輩」はクダをまいていた。
「あそこで政治家と、会社のオエライ方々が密談して、ありえない価格で事業とかを買い取ったりしてるんだぜ。知ってるか、山本君…」
20年弱前、大学4年で就職活動を人並みに我輩はしていた。
卒論の担当教官はじめ、同級生から後輩に至るまで
『え?山本が就職?ありえねえ!』
『やめとけやめとけ。おまえ、絶対にサラリーマン、合わないから。』
『エロ漫画描くの、続けるんだろ?』
『断言する、おまえは就職しても半年ももたない』
ばかやろお、2年もったわい(いやそれもどうかと)。
今はどうか知らないが、当時は卒業生訪問から始まり、そこから人事部への推薦が行われ、面接や試験に入ると言うスキームであった。
当時の我輩は、さて、就職するにしても、どこに就職すればいいのかわからないバカであった。
--ああ、やはり、サラリーマンとか、向いていないのかな。
と思いつつも、毎日背広を着て、ネクタイを締め上げては、オフィス街をうろついていた。
当時はインターネットが普及していなかったので、就職部へ行っては、卒業生名簿を開き、
--この会社にアプローチしてみようかな…
と思っては、連絡先をメモし、最初に手紙を書いて、次に電話を受けて、その後、高級料亭か居酒屋、社員食堂という時もあったし、街中の喫茶店で見知らぬ「先輩」から「面接」を受けた。
思い出してみても、色々あったものだ。
卒業生はわずか一人という、日本最大の重工業メーカー。
退職寸前の方だったが、親子以上の年齢差にも関わらず気さくで、個人では入ることのない料亭で「面接」を受けた。
ある銀行に勤めている「先輩」から、喫茶店で「面接」を受けていたところ、突然、隣に座っていたアル中(朝から酒臭かった)のご老人から、世界経済は今後、アフリカに移って云々の高説を受けてしまい、我輩もその「先輩」も面食らい、後で爆笑したことがあった。
別の銀行に勤めている「先輩」から
『来週から大阪本店で2週間研修があるので、戻ってきてからお会いしましょう!』
と電話があった。
二週間後、約束どおり、その「先輩」から電話があり、でかい声で
『いやあ、山本はん!
さっそくやけど、あさって
どっかで茶、しばかんか?』
…関西弁で、やはり伝染するんだな…と思った。
で、出だしの「先輩」は、ある総合商社に勤務されていた。
あまり良い噂のない商社であったが、興味あって手紙を書き送ったら、数日後、電話があった。
「山本君…ここはやめておけ」
…第一声がこれだったもんな…。
それでもお会いして「面接」を受けたいと言うと、すんなりと日付と場所が示された。
赤坂のちょっとシャレた居酒屋であった。
「目印に、会社の封筒を立てかけているから」
時間より5分早く到着したら、その「先輩」はいた。
泥酔状態で…。
「ごめん…でも、酔わずにはいられないし、こんな時じゃないと、酔えないし…」
我輩はどちらかといえば、暴力を振るわない限り、泥酔者には寛大である。
でも、この「先輩」の様子があまりにもすごかった。
仕事を忘れたいが、忘れさせる状況ではない。
酒を飲む自由な時間もない。
今日は「後輩」との「面接」だというので、特別にそのまま帰ってもよいというお達しだそうだが、今、夜の11時なんだけど。
「まさか、酒を飲んでいても、会社に戻れとかって、あるのですか」
「山本君…ウチの会社はね…出社じゃなくって、『帰る』というところなんだよ。」
「この数年間、土日はないし、自宅で休めば上司から怒鳴られるし。」
--でも、その分だけ、給料が良いのでは?
「あのね…他の総合商社と比べたら、半分よ!」
「あとね、上は本当に鬼畜でね…(ヤバイ話ばかりなので省略)」
「バブル弾けた後だから(その時期だった)、もう社内は(更にヤバイ話が続いたので省略)」
開けたてのウィスキー瓶の殆どが、その「先輩」によって飲み干されていた。
「この会社の裏、料亭だらけだろ?」
「あそこで政治家と、会社のオエライ方々が密談して、ありえない価格で事業とかを買い取ったりしてるんだぜ。知ってるか、山本君…」
「オエライ方々は、政治家と何か悪企みをして、裏のKMからハイヤーを呼んで、ほろよい気分で愛人の住むマンションへしけこむ間、こっちはカップ麺をすすりながら(もうなんというか省略)」
事業許可取り消し検討=タクシー大手国際自動車−関東運輸局
別にあの商社がどうだとか、関係ない話であるが、このニュースを知った時、つい、あの「先輩」のことを思い出してしまう。
過労死か、鬱病か。
結局、最終面接まで行ったが、「先輩」が言っていたその「オエライ」方々と会い、判ったことがあった。
ああ、この商社、
潰れるか、買収されるな
と。
まあ、学生とはいえ、あのように人を馬鹿にする連中が、社員を奴隷にするんだろうな。
不合格になったけど、逆にホッとした思い出がある。
その数日後の深夜、その総合商社が入ってる赤坂の本社ビルに対して、立ちションの被害があったようだが(ry