憧れの近く

  • 2019.09.06 Friday
  • 20:38

「三国志演義」について、語りたい人がいればおそらく一週間あっても語りつくすことはできないだろう。

我輩はそこまで深い愛好者ではないが、そこそこ好きな「史実をベースにした架空」話として、嫌いであろうはずがない。

台湾の道教寺院に行くと、数多くの華やかな彫刻が壁一面に飾られており、儒教における美徳としての忠孝恕の事例を善男善女に示そうとしている。

そんな廟において、一番人気はやはり関羽であり、彼と彼に関係する英雄とされる人たちが、エンターテインメントのパノラマを飾り、線香の煙に燻され、主殿の奥に威風を放っている。

そんな中で、彼の脇侍に不思議な存在がいる。

周倉だ。

小説の中では、黄巾の乱の参加したが脱落し、山賊をしていたが関羽の活躍を聞き、偶然通りかかったところに平伏し家来となり、その死を共にしたとされる。

義理の息子の関平と共に、イメージポイントである独特の兜を被って、関羽の背後に端然と立ち、信者を見守る。

 

あくまでも小説の中の存在。

だが、「居た」とされ、神の一柱として崇められている不思議。

 

単純に考えると、関羽という作り上げられた英雄にはなれないが、少なくとも関羽に近づきたい、関羽に仕えたい、その憧れの存在として周倉が施耐庵、もしくは羅貫中によって、創作されたのであろう。

だとしたら、作者はかなりマーケティングセンスのある人物だったに違いない。

最近のラノベ等を観ていると、メインストリームから外れたところのキャラへの人気がある。

万能な英雄にはなれないし、現実的ではない、何よりも感情移入できない。

であれば、乱からドロップアウトし、山賊として燻っていた中から、一発逆転というにはやや俗っぽいが、ただ何かへ、誰かへの憧れから人生やり直そうときっかけ、その手本を見せる周倉のような人物が、どうしても必要であった。

史実でなくとも、それは関係ない。

廟で関羽親子と共に崇拝されている周倉は、祈る側にとってもある種の鏡のような存在なのだ。

憧れの近くに仕えることへの希望が、そこにある。

 

 

 

で、なんで唐突にこんなことを書いたのか…。

日本史において、そんな人がいるのかな…と、仕事中に(仕事しろよ)思ってたのだが、さっき思い出した。

 

一心太助。

 

江戸幕府開闢時、三代将軍に仕えてきた大久保彦左衛門の元で活躍したという講談、小説、戯曲が有名であるが、あくまでも創作の魚屋だ。

ただ、完全に創作といえばそうではなく、一説には大久保が住んでいた築地(当時は小田原町と呼ばれ、大久後は小田原藩藩主の弟だったことから、この近辺に住んでたと言われている)には魚市場があり、それに関連して編み出されたと言われているし、小田原の魚問屋との交流、階級にあまり拘らない大久保の性格、それと個性的な草履取りを召し抱えていたという話が絡み合って、このキャラが生まれた…そう考えるのは自然かもしれない。

 

だが奇妙なことがある。

白金にある立行寺には、大久保の墓があるが、その隣には架空であるはずの一心太助の墓が据えられている。

米穀商で富を築いた、元津軽藩藩士の松前屋五郎兵衛が建立したと言われている。

こちらの生死年月は不明だが、実在していた。

そして、一連の一心太助の戯曲にも登場していた。

 

もうここまでくると、ワケが分からない。

 

大久保と一心太助の話がまとまったのは、幕末の頃だったような記憶が。

歌舞伎役者の河竹黙阿弥や三世桜田治が歌舞伎にまとめたりしたのだが、それ以前については書物などでまとまったものがあったのだろうか?

口伝等で一心太助という存在が江戸初期に生まれたのであれば、その伝承ものを松前屋がわざわざ作ったりするのだろうか?

あるいは、自分の店を口伝えで宣伝するために一心太助の名前を借りたのだろうか?江戸の初期であれば、なんとなく理解できる。噂や口伝、わらべ歌がそのまま宣伝になるという時代だったからだ。

だが、講談や歌舞伎に登場する、松前屋がありもしない罪に陥れたのを一心太助が助けたというのを、二〇〇年以上もそのまま伝えられるようなものだろうか?いや、その前に、幕末までこの松前屋は残ってたのだろうか?

あと、一心太助の名前が史実に似せた形で正式に紹介されたのは、明治二〇年に発行された「大久保実記武蔵鐙」であるが、三〇〇年も店の宣伝キャラは生き残ったというのだろうか?

 

そう、宣伝キャラとしての一心太助。

 

松前屋五郎兵衛が架空の一心太助の「墓」を建てたのは、宣伝の一種だったのかもしれない。

 

「あしたのジョー」で力石徹の葬式が行われたかのように。

それに近いものとして、またこのキャラを通して、店が繁盛するように。

何よりも、江戸幕府の体制において、これほど理想的なキャラはなかったから、善良なる江戸の人たちが「憧れ」の対象として、実在したかのように墓が建てられたのだろう。

それは支配階級に対しての「心意気」にも近いものがあった。

身分は低くとも、才ある者、正しいことを直言できる者を大切にしろという訴え、大久保の遺徳への称賛。

逆に相手がお侍さんであろうと、筋の通らないことを許しちゃいけないという江戸っ子気質の称揚としての一心太助があった。

 

ベクトルはやや違うかもしれない。だが、古今東西、架空のキャラを通して、「人間としてこう生きよ」ということを、様々な形で我々は触れることができる。

英国のロビンフッド、アーサー王もそうだった。

 

 

 

これもまた、一種の「神話の力」であろう。

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