ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

「老害」とは

2018.10.08 Monday 11:30
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    JUGEMテーマ:日記・一般

     

    良き老人になろうと、いろいろと観察したりしている。

    ある日、ある交差点での出来事。

    明らかに赤信号なのに、80過ぎた(それともそういう顔なのか)がじj...老人が自転車で渡ろうとしてた。

    そこにトラックが入ってきたが、急停止。事なきを得た。

    当然、怒鳴りあいが始まったわけだが、その老人の言語が全く不明(逆ギレなのか、それとも何かの病気なのか)。

    とうとう後輪を蹴り始めたので、運転手がキレて、その老人の首根っこを捕まえ、自転車ごと歩道に投げ入れる(柔道の心得があるような感じだった)。

    せいせいしたか、そのままトラックに乗り込み、走り去る。

     

    歩道で人語を超えた何かを叫びながら、その老人、自転車に乗り、トラックを追いかけ始めたが、前方で別の車に接触しそこで同じことが...

     

     

     

    信号が赤かそれに転じようとする時、普通の人は、「渡れるか渡れないか」と判断する。

     

    全員ではないが、高齢者はもしかして、「渡りたい」の一択しかないのだろうか?

     

    あのコントのような出来事は極端かもしれないが、日常においても良く見かけてしまう。

     

     

    コンビニで欲しいタバコの銘柄を言わず、店員が質問すると、「俺の欲しいタバコだ!」と喚き、何も買わずに出ていく光景は、週に数回、会社近くのコンビニで見かける(今いる会社の周囲、都内なのに「限界集落」なんよw)。

    浅草寺のある光景を撮ろうとしゃがんだら、後ろから老人が「俺の前で停まるな!」と喚いて蹴ってきた(振り向き立ち上がったら、身長140cmもない感じのジジイだったが、なんかそのまま猛スピードで逃げてった)ことがあった。

    近所の安売りスーパーで、某大手総合商社の管理職を定年退職した高齢者が、毎回レジ係に怒鳴り散らしているが、その理由にはパターンがあるそうで、【俺様の買い物にはレジ袋3枚必ず出せ、覚えろ】【お辞儀は俺様に向かって90度最敬礼しろ】【釣銭はトレーにきちんと並べて説明しろ】...ヤバイ、目の前にいたら、今度こそ殴りそうだ。

     

     

    要するに、「自分が求めていることを世の中が従わなければならない」という思考になっているが、その理由が何であるのか。

    現役だった頃、大手企業の幹部だったり、社会的地位が高い人にこの傾向が多いと言う理由はわからなくもないが、小金井市で資源泥棒としている軽トラ乞食の様子を見ると、一概にそうだと肯定することはできない。

    『老い先短いからあわてている』という意見もある。うん、前述のコンビニの件はそれに当てはまるかもしれないが、これも完璧な答えだとも言い難い。

    もうとっくに引退している人間があがりこんで何かを喚き散らかすというのは良く聞かれる。

    会社組織などで、「代表取締役会長最高顧問」というワケのわからない肩書の腰が90度にひん曲がったが絶対権力者として現場を無視することをドカドカとやりまくる。

     

     

    理由や原因はどうであれば、赤信号なのに「渡れるか渡れないか」を否定し、「俺様は渡りたい」「渡らせないほうが間違っている」という思考が、老害なのだな。

    巷で問題となっている「暴力老人」は、自分の立場を客観視できない、『こうしたらこうなる』という判断ができない、つまり人生において必要な「想像力」が欠落しているということになる。

    社会的地位をある程度築き上げた人は、この「想像力」に優れた面があり、老いてもそれと維持できるかが重要となるが、かなりの人が引退すると、この能力を一気に失うように感じられる。

    大企業の幹部になった人は、強い緊張感をもって「想像力」を駆使したであろうが、バッジも名刺も失うと同時に緊張感で支えてたこの能力を失うように見られる。

     

    逆に、環境や自分をより高みに上げようとせず、自分の人生そのものを楽しもうというとするならば、「想像力」は無理やり発現させるものではなく、自然体で動くものであり、どのような環境でもどのような年齢になっても、我輩が知る限りでは穏やかで愛される高齢者になっている。

    呼吸するかのように、「想像力」を自分のものにしているから、「渡れるか渡れないか」どころか、「子供がいる、赤信号は渡らないことを手本で見せなければ」と考えるほどまでに、その能力は高みに達している。

     

     

     

    喜劇王チャップリンは多くの名言を残したが、

     

    All it takes is courage, imagination… and a little dough.

     

    人生において必要なのは、勇気と想像力、そして少しばかりのお金です。

     

    ほど、広く知られた名言はなかろう。

    この「想像力」とは、何かを創ろうとする力ではなく、「こうしたらダメだよ」という発展的な「良心」とも同義だといえる。

    老害だけではない。

    「こういうことをしたら、自分にもブーメランが返ってくる」というダブスタなどについても、「想像力」がものを言う。

    よく勘違いされるが、「想像力」に最も必要なことは「記憶力」だ。

    低学年で中途半端な外国語教育をやるよりも、正しい日本語教育を徹底すべきだと書いたことがあったが、その中で和歌、詩、俳句、日本文学一節の暗誦が必須だ。これらの蓄積によって、正しい日本語が使えるようになり、その自信からコミュニケーション能力が高まるのだ。記憶した日本語の手本をもとに、今度はそこから自分なりの言語構築を自由自在に行える、つまり「想像力」が自然と培われるようになる。

     

     

     

    「老害」にならない方法は、「想像力」が自然と備わっているように常日頃生きることだ。

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