ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

「国際スポーツ」としての義務

2012.07.27 Friday 19:01
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     JUGEMテーマ:ニュース


    日本古来の柔術二流派を統合し、柔道を完成させた嘉納治五郎翁は、晩年、スポーツへと変貌した柔道の姿を嘆き、合気道に「これぞ本来の柔道の姿だ」と感動したという逸話がある。
    我輩は柔道に詳しくないが、翁の講道館が、明治19年の警視庁武術大会において、柔術諸派を破った段階で、また日本の体育教育に奉職したことで、「スポーツ化」され、秘密主義の「免許」ではなく、協議の上、段位やルールが決まる公開合議制によって、日本古来のものとしての柔道ではなくなるのは、至極当然のことである。
    講道館と、国際的柔道組織であるIJFの間で、審判における差異があり、オリンピックでは伝統的なルールは排除され、発祥国として納得のいかないルールに従わざるを得ない。
    柔道は日本の伝統武道ではなく、「国際スポーツ」であり、JUDOなのだ。

    だとすれば、この要望に応えなければなるまい。
    まさかとは思うが、イスラーム教徒(女性の場合、ムスリマ)は、JUDOをしてはならない…と言うはずなかろう。
    「(ヒジャブの着用は)危険だから認められない」というのは、蟹挟みを認めないのと同じ理屈なのかな?
    だが、頭髪を隠すなど、様々な形でのヒジャブが登場している。女子サッカーでもFIFAは着用禁止規定を撤廃した。
    なるほど、絞め技などを考えると、ヒジャブは確かに危ないかもしれない。
    だとすれば、以下の通りにすれば如何だろうか?

     ・選手だけでなく、監督、コーチ、サポート、審判だけでなく、観客も男性禁止。
     ・テレビ放送の際、ムスリマ選手にはモザイクをかける(実際、サウジアラビア王国では、女性写真が印刷のポスターにモザイクがかかっていた)。
     ・控え、表彰式の時に、ヒジャブ着用を認める。


    今回は、サウジアラビア王国が譲歩したが、大きな課題を残すことになった。
    JUDOは、「国際スポーツ」として、妥協点を出す義務を有する。



    「国際化」という言葉は、安直な言葉ではない。

    山田虎次郎翁を慕いて | comments(1) | trackbacks(0) | - | - |

    コメント

    これに関しては被服の差異はハンディになるので着用を禁じるのは妥当と思います。

    「規定外ですがこの自転車フレームしか宗教的にゆるされないので」
    「宗教上の理由でサッカーは全裸と定められてます」
    通用しますか?

    国内ルールであれば文化的、宗教的にローカライズは問題ないと思います。
    「参加しない」という選択肢が有る事をお忘れなく。
    | a2z | 2012/07/29 1:13 AM |

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