沖縄戦の跡地を巡って

  • 2010.04.26 Monday
  • 15:35
発 沖縄根拠地隊司令官

宛 海軍次官

左ノ電□□次官ニ御通報方取計ヲ得度

沖縄県民ノ実情ニ関シテハ県知事ヨリ報告セラルベキモ県ニハ既ニ通信力ナク三二軍司令部又通信ノ余力ナシト認メラルルニ付本職県知事ノ依頼ヲ受ケタルニ非ザレドモ現状ヲ看過スルニ忍ビズ之ニ代ツテ緊急御通知申上グ

沖縄島ニ敵攻略ヲ開始以来陸海軍方面防衛戦闘ニ専念シ県民ニ関シテハ殆ド顧ミルニ暇ナカリキ

然レドモ本職ノ知レル範囲ニ於テハ県民ハ青壮年ノ全部ヲ防衛召集ニ捧ゲ残ル老幼婦女子ノミガ相次グ砲爆撃ニ家屋ト家財ノ全部ヲ焼却セラレ僅ニ身ヲ以テ軍ノ作戦ニ差支ナキ場所ノ小防空壕ニ避難尚砲爆撃ノガレ□中風雨ニ曝サレツツ乏シキ生活ニ甘ンジアリタリ

而モ若キ婦人ハ卒先軍ニ身ヲ捧ゲ看護婦烹炊婦ハ元ヨリ砲弾運ビ挺身切込隊スラ申出ルモノアリ

所詮敵来リナバ老人子供ハ殺サルベク婦女子ハ後方ニ運ビ去ラレテ毒牙ニ供セラルベシトテ親子生別レ娘ヲ軍衛門ニ捨ツル親アリ

看護婦ニ至リテハ軍移動ニ際シ衛生兵既ニ出発シ身寄無キ重傷者ヲ助ケテ敢テ真面目ニシテ一時ノ感情ニ馳セラレタルモノトハ思ハレズ

更ニ軍ニ於テ作戦ノ大転換アルヤ夜ノ中ニ遥ニ遠隔地方ノ住居地区ヲ指定セラレ輸送力皆無ノ者黙々トシテ雨中ヲ移動スルアリ

是ヲ要スルニ陸海軍部隊沖縄ニ進駐以来終止一貫勤労奉仕物資節約ヲ強要セラレツツ(一部ハ兎角ノ悪評ナキニシモアラザルモ)只々日本人トシテノ御奉公ノ護ヲ胸ニ抱キツツ遂ニ□□□□与ヘ□コトナクシテ本戦闘ノ末期ト沖縄島ハ実情形□一木一草焦土ト化セン

糧食六月一杯ヲ支フルノミナリト謂フ

沖縄県民斯ク戦ヘリ

県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ





沖縄戦における「巡礼」の地として、ひめゆりの塔や沖縄戦跡国定公園が真先にあげられる一方、この「海軍司令部壕跡」を訪れる団体は、それほどいない。

だが、通常だと最後の電文で「天皇陛下万歳」とするところを、県民が率先して協力し、戦い、傷つき倒れていく様を克明に伝え、

沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ

と、切々なる祈りを込めて電文を〆め、自決した大田実司令、他参謀ら最期の地こそ、最初に訪ねるべきではないかと思い、レンタルした車を走らせた。

案の定、観光客の数は極めて少なかった。
だが、そのおかげで、壕の中の隅々を見学することができた。
手榴弾で自決した部屋もあり、その痕跡が今も残っている。

沖縄戦に参加した部隊の記念碑もあり、写真におさめた。



興味深いことに、戦艦大和の乗組員一同も含まれていた。


その後、糸満市を経由して、ひめゆりの塔、そして、平和祈念公園へ。




女性インテリ層が、いわゆる「軍国教育」の犠牲者ではなく、
一人一人が国民として、また郷土を愛する沖縄の県民として、
献身的な活動を繰り返していたことが、痛いくらい判る。

一時期、『戦争は酷い』『日本が悪い』『日本がすべて駄目』とかの内容がいっぱいだったと聞いたが、ずいぶん展示内容が変わったようだな。
尤も、ところどころ、「?」という表現は無きにしもあらず、だったが。

遺影を一枚一枚、丁寧に見つつ、名前と生前の特徴、そして亡くなった状況を知る。
悲惨、という言葉しか出てこない。
これが戦争である。
犠牲となった一人の教師と、一人の女学生のことが、非常に気になる。
が、あえてメモとかは取らないでおこう。
英霊らをネタにする日本人はいない。

知れば知るほど、底知れない悲惨さを感じつつも、
日本人として、当然の行動を彼女たちがしていたことに、
深く感動した。
同じ年の8月、真岡郵便電信局での殉職に繋がるものがある。
職における死に際して、男性よりももしかしたら、女性は潜在的な強い覚悟を持ち合わせているのかもしれない。
我輩も見習わなければ…。





沖縄戦跡国定公園。
しかし…なんか、前の2箇所と違い、
説明しがたいワザとらしさが鼻につく。
修学旅行の団体が多数出入りし、中央で先生の検閲を受けたとしか思えない、通り一遍の文書を読ませられているが、まともに聞いている生徒がいなかった様子を見てて、なんとも情けなくなる。
ただ、まとめて「平和を祈る」ための施設として、こういう形でしか出来なかったのかなと思うと、それはそれで更に情けなくなる。

てか、祈念堂の中は、入る必要ないぞ…
中には巨大な仏像(「仏像じゃない!」って言っているけど、どうみても仏像です、本当にありがとうございました)があって、周囲には、「一流の」画家が寄贈した絵画が展示され、地下には全世界から集められた石が乱雑に置かれ…あああああああ…こういうので、白けさせるんじゃない!



巡ってみて、
また市井の人たちと語ってみて、
沖縄について、我輩なりの考えができつつある。

これは後日、脳内で整理して、日記に載せたい。
だが、あえて言わせてもらえば、悲しいまでの
「白旗を美しいと考えるメンタリティ」がここにはあり、
それが沖縄がどう足掻いても、どこかに依存しなければ立ち行かない風土を成している原因だと思えて、仕方がないのだ。
と同時に、今の日本全体の縮図になっているように思えて仕方がない。
「沖縄の日本化」ではなく、「日本の沖縄化」があり、日本全体を今、悲劇的な状況に追い込んでいる…そう思った。
まあ、いずれにしても、後日、詳細を書きたい。



県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ


大田司令。
このお言葉、沖縄の底にある現実を知った上で、電信されたのでしょうか。
だとすれば、かなりの洞察力をお持ちだったのですね…。
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