死者が親友となる時

  • 2017.09.24 Sunday
  • 21:05

JUGEMテーマ:映画

 

1987年に亡くなった神話学者の大家、ジョーゼフ・キャンベル。

彼が死の前年まで、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を通して、神話とは何か、神話に登場する人物たちとはどういうものなのか、神話が現代人に対して問いかけるものは何か、そしてその力とは何かについて述べるドキュメンタリーがあり、死後、一冊の本にまとめられた。

 

 

 

 

神話をその通りに信じることは21世紀において不可能であるし、神話の一言一句を狂信的に信じることは、人間が動物と峻厳に分け隔つ理性に背くことだ。

だがその中で詠われる物語を通して、人間としてどのように生きるか、決断に迫られた場合に何をすべきかについての力を得ることができる。

キャンベル氏はこう述べた:

 

We have not even to risk the adventure alone for the heroes of all time have gone before us.

The labyrinth is thoroughly known ... we have only to follow the thread of the hero path.

And where we had thought to find an abomination we shall find a God.

And where we had thought to slay another we shall slay ourselves.

Where we had thought to travel outwards we shall come to the center of our own existence.

And where we had thought to be alone we shall be with all the world.

 

我々は一人で冒険の危機に臆することはない。なぜなら英雄たちが、既に我々の先を行き、道筋を作ってくれたからだ。

迷宮の道順は皆に示されている…我々はただ、彼らの通った道を歩めば良いだけなのだ。

忌まわしきことを見出せねばならない時、我々は神を見出さねばならない。

他者を打倒せねばと考える時、自己犠牲の心が生まれる。

遠く離れて旅立つ時こそ、我々は世界の中心にいることを知る。

そして孤独に苛まれている時こそ、世界は我々と共にあるのだ。

 

 

 

神話に限らず、歴史、伝説、伝承、小説でもよい、童話も素敵かもしれない…それらの生きていない存在、極言すればそこに登場する「死者」達を知り、学び、真似をし、対話をするようになり、心の底からたとえ空想の存在であったとしても、親友だと思えば、人生は随分と楽で、美しく楽しいものではなかろうか。

ただ行ったきりではただの引きこもり、現実と向き合えない臆病者になってしまう。

 

こちらは有名であろう、ミヒャエル・エンデ。童話作家。映画でも知られているから、あえて説明はしない。

映画でのイメージばかりが先行して、原作を読まないと理解できない「果てしない物語」。

主人公バスチアンがアトレーユ等のキャラクターを通して、ファンタージェンを救うという話についても割愛。

とはいえ、原作と映画はかなり違うので原作に絞りたい。

前半ではファンタージェンを救い、後半ではバスチアンがその世界から出られなくなる(というか、バスチアン自身が出たくない)というものである。

ファンタジーの世界に没入し、自分をその世界の中で違う個性として存在し、他のキャラクターたちを通して生きることは悪いことではないが、しかし、そこから出て、再び現実に帰ることにこそ、本当の勇気が必要であることが描かれている。

ファンタジーの世界、神話、伝説、歴史…それらに自分を置き、会話し、冒険することは、過去の自分を浄化することを意味する。そして、浄化して帰ることで「明日から何もかもが変わる」のだ。

 

「果てしない物語」のファンタージェンは、実在しないもの。

神話や伝承、歴史の(たとえ史実と違うものであっても)英雄たちは、既に死んでいるもの。

だが、彼らと「親友」になることで、我々は再び、現実社会に帰ることができる。

 

 

 

 

だからこの映画を観終わった時に、奇妙な既視感を抱いた。

制作者の意図は全く違うものかもしれない。

映画評論家は、感動的なコメディと絶賛している。

だが我輩としては、これこそ21世紀の形での、神話とそっくりではないかと感じた。

 

主人公は死体と巡り合う。

現実では、ただの死体で、何の役にも立たない。

だが、あらゆる困難な状況に際して、助けてくれる(「道筋を作って」くれてるともいえるかもしれない)。

死体がしゃべりはじめると、半分以上がシモネタであるがw…それでも、死と生の境界線はどんなにあいまいなことかを気付かせてくれる。

主人公は日常の(現実の)世界から逃げ回ってた。

だが、死体に対して、生きることの素晴らしさを伝えることで、日常の(現実の)何気ない世界から逃げず、素晴らしいと感じるようになる。

 

この映画では、主人公は無二の親友となった死体と共に、神話の中を歩いたのだ。

そして、現実の世界に戻った時、そこから主人公は多くの目撃者と共に、新しく生きようと歩みを始める。

 

 

 

死者と親友になる時、生きることに深刻になってた自分があまりにも滑稽であることに、気づかせてくれる。

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