大和に思う色々なこと
- 2016.04.07 Thursday
- 22:10
戦艦大和は、実に不思議な存在だ。
当時としては、資源を大量消費するということで、戦時であっても滅多なことで動かしてはならなかった。完成され、戦争が始まった後も、港を出ることは殆どなかった。
毎日、訓練訓練のみの存在でしかなかった。
戦後になり、あれは大艦巨砲時代の最後のごく潰しだの、無用の長物だのと、散々叩かれたりしたが、
その一方で、その存在自体、日本人の心の深奥に、ある種の原風景を想起させる象徴として、語り継がれるものとなった。
機能美という用語に、何か一つ、例をあげよと問われれば、我輩は悩むことなく、大和をあげたい。
その悲劇的な終わり方についても、死をもって終わりとするのではなく、死をもって何かが完成されようとしているという、死にゆくものへの限りない憧れは、散る桜花と同じように、我々に奇妙なカタルシスを与えてしまっている。
先日購入したこの本の中で、黒鉄翁は見事な指摘を行っている。
大和は日本刀なのだ
と。
確かにそうだ。
日本刀は、中世時代においては有効な武器であったかもしれないが、江戸末期においては小銃やピストル等の前では無用の長物でしかなく、戦後はただの芸術品として愛でるものとなった。
戦前、旧軍将校はそれを腰からさげることで、自らの職務を常に意識し、また、天皇から下賜されたものであるという建前から、守るべき国に対するイメージを、その重みを通して、日々、育んできた。
一部は、”名刀”と呼ばれるものを求めてた一方、山下奉文大将などは、安物の刀や小刀等を代わりにさしていた。合理主義による…ということでの姿勢だったかもしれないが、それでも、それを外そうということはなかったことは、習慣や軍規だけで片づけられるようなものではなかろう。
外から見れば、確かに意味のない存在かもしれない。
だが、そこにあるということにこそ、意味がある。
腰にさげる無用の長物。
「ホテル」だ「旅館」だと陰口叩かれた、出撃しない鉄の塊。
それでも、何に対して日本人は、これらに深いシンパシーを感じるのか。
我輩はそれに対して、一つの俳句を見つけ、それを仮説としたい。
「大和」より ヨモツヒラサカ スミレサク
7年前に亡くなられた明治大学法学部教授にして歌人であった、故川崎展宏翁が、昭和53年に出版した句集「義仲」の中の一句。父は海軍士官だったと言う。
実に代わった俳句である。
俳句というより、電文なのだ。
ヨモツヒラサカとは、「古事記」に登場する黄泉平坂のこと。
この世とあの世(黄泉の世界)の境にある坂のことで、伊弉諾尊が伊邪那美らに向けて桃を投げつけた場所が「古事記」にて記されている。
三千柱の英霊とともにおわず大和が、電文にて、我々に対して、「スミレが咲いている」ことを伝えている。
なぜ、スミレなのか。
それ以前に、何故、「スミレサク」の箇所で、我々の心に何かが刺さったような気になるのは、なぜなのか。
ただ判ることは、我らは死者と永遠につながっているということなのだ。
意識しようとなかろうと、逃れることができない、死者との関係。
何かに対する”完成”への”継承”を促す、死者からの生者への”応援”なのだ。
前述したが、日本において、「死をもって何かが完成されようとしている」ことに清浄な気持ちを抱くものであるが、それは決して「完成」されないという矛盾がある。
見えない「完成」への限りない「継承」への「使命」が、存在しているように思えてしまう。
それは21世紀の合理主義からすれば、何もかもが馬鹿げているように思える。
だが、それならそれで、何故切り捨てることができないのか。
それに対して答えられない、知的な連中の愚かなことよ。
14時23分、北緯30度22分東経128度4分。