午後1時の昼食を済ませてから、定期券を買いに吉祥寺の駅まで出向く。
会社の新しい方針では、自分が立て替えて、後日清算というシステムになったのだが、財布に対して微妙に痛い。
JR東日本であれば、Viewカードで購入することもできる。まあ、ケースバイケースで、立て替えるしかないわけだ。
それにしても定期券が切れるのが、給料日前ということもあり、何とも痛い。まあ、契約がやっと更新したが、相変わらずの内容にして、なおかつ動こうにも動きようもない日々が続き、社内ニートならぬ、社内乞食にも似たような境涯にいる我輩だ、多くを言う資格はないわいな。
というか、我輩、まだ「
プロデューサ」だったんだ?
とっくの昔に、まとめて解任されて、今の閑職に回されたとばかり思ってたよ。自分の考えが通らない空気の中で、他のを回すのが、「
プロデューサ」の仕事だったんだ。
今更ながら、
どうでもいいことだ。
定期券を買い終え、ふと、駅の公園口を見ると、托鉢僧がいる。
仏門に帰依した我が身なれば、気になるところであるが、
どこをどう見ても、
偽托鉢僧
である。
托鉢僧か偽かの見分け方
一 托鉢は午前中に行われるものである。それは信徒の家を回る
だけでなく、街中での托鉢についても同じこと。
二 托鉢に赴く際に、必ずどこの寺の者であるのか、示すものを見せる。
「○○山○○寺」という感じで袈裟に記されている。
三 原則は集団行動。
四 裸足に草鞋。
全部外れでした、
本当にありがとうございました。
ちょっとからかってやろうと思い、近寄った。
傘の下にあった顔は、日本人らしくない顔立ちをしていた。
我輩の顔を見るなり、あからさまにギョ!っとした表情を浮かべた。
「いずこの宗派かな?」
「え・・ええ・・・しゅ・・・しゅは?」
「宗派・・・です」
ああ、このイントネーションは完全に支那人のものだ。いや、でも、語調がやや柔らかいところを見ると、台湾人かもしれぬ。
ふと、この偽らしき僧侶の足元を見ると、くたびれたザックが無造作に置かれており、その上に安物の腕時計と名刺らしきものがあった。
その名刺が、この人物のものであるのか分からなかったが、印字されていた名前は、やはり支那か台湾のそれであった。
「あ、はい。ジョドシュウです。」
「ああ、浄土宗ですか・・・。」
我輩はそれ以上、話を訊こうとは思わなくなった。
いつもであれば、弄繰り回して様子を見るのが楽しいはずなのが、なぜか今日に限って、その気持ちが失せた。
そして、馬鹿みたいに、ポケットの中に入っていた500円硬貨一枚「喜捨」して、その場を立ち去った。
後ろから
「あ・・アリガトございま・・」
まで聞こえた。
「浄土宗です」と言ったのであれば、そこは
衆生無辺誓願度
煩悩無辺誓願断
法門無尽誓願知
無上菩提誓願証
自他法界同利益
共生極楽成仏道
と、四弘誓願を唱える、馬鹿モンが。
いや…偽と分かっていても、「喜捨」をした我輩こそ、馬鹿モンだ。
からかろうと思った我輩こそ、更に馬鹿モンだ。
頭を丸めて、袈裟をつければ、誰でも僧侶にはなれる。
偽坊主なんか、簡単になれる。
いいかげんな経でも唱えれば、布施くらいもらえる。
それらしい姿で街中で乞食行を行えば、喜捨を受けることができる。
葬式で、戒名のランクによって、数百万円一気にもらえる。
生臭坊主や、偽托鉢僧なぞ、軽蔑すべき存在かもしれない。
だが、少なくとも、頭を丸め、袈裟をいただいている段階で、
我輩よりも
覚悟のある人たちだ。
その生き方自体が「乞食」の「行」である。
だが、その「行」自体に、少なくとも他者に対しての「慰め」がある。
生臭、偽であろうとも、我輩が今、500円の喜捨をした段階で、自分の愚かしさに気づいた…この「慰め」を受けたのだ。
偽托鉢は軽犯罪法違反である。
あの人物も、早々に、偽の「乞食行」をやめたほうが良い。
だが、いかなる「慰め」を作ることもできない状況にいる我輩は、
どうしたら良いのだろうか…。
あえて「喜捨」した我輩を、嘲笑してほしい。
あの偽托鉢僧は、少なくとも我輩よりは遥かに優れている存在であった。