我らのモーゼの一周忌に際して
- 2021.07.30 Friday
- 21:23
JUGEMテーマ:台湾
長くとも三泊四日しか台湾旅行ができない。
有休と連休を重ねて、多少高い飛行機代を購入したとして、この限られた時間内でしか、あの国を楽しむことができない。
できれば2週間、難しくともせめて1週間の時間があれば、目的をある程度果たせるのだが、たとえ本業の会社から見放された立場であっても、ドカンとその期間分だけ休みを取れるのは難しいくらい、忖度できるというものだ。
最後に台湾旅行をしたのは一昨年末。
小留学のために学校まで申し込み、下宿先を探すのが目的だった。
前者については、あらかじめ電話やメールなので目星を付けることができたし、無事に入学費授業料をまとめて支払うことができた。
問題は後者だった。
学校までMRTで通うことができる範囲であちらこちらを探してみた。
理想は、とにかく日本人がまず居ない場所。
臺灣華語を使わなければ、水一本さえ買えない、そんなスパルタな場所を探してた。
3件、そういうロケーションにある下宿を見つけたが、全部を回って宿泊するのは不可能だった。
しかたないので、内1件にお試しで宿泊することにした。
松山駅(日本じゃないぞ)近辺の下町で、以前から滞在したいな…と思ってた地域だ。
もう最高。
こういう場所、たまらなく好き。
MRT駅までの間に朝5時から開いてる豆漿屋があり、少し歩いた所に超級市場(スーパー)がある。
周辺は「ザ・下町」という雰囲気で、日本語も英語も通じない。
でも、こちらが外国人だとわかると、色々と教えてくれ助けたりしてくれた。
これがその候補となってた下宿。
いやあ、これよこれ。
こういう雰囲気のアパートメントに一度、住んでみたかったんだよ。
入る時に戸惑ったら、近所の人たちがワイワイやってきて、助けてくれた。
大家さん、ちょっと外出してたらしい。
で、これが部屋。
Wifiもバンバン通ってる。
テレビは何故か、大陸系の番組ばかりだったのだが、大家曰く、そういう客向けで、あなたのような日本人が泊まるとは思いもよらなかった…とのこと。
二つの意味ですまん。
想定外の下宿人であることと、あと正確には我輩、日本人じゃないんだよ。
環境は何から何まで勉強するのに素晴らしい。
見えてないが、ちゃんとした勉強机もある。
ただ、ここにしなかった理由は、玄関とシャワートイレが大家さんと共有という点。
三泊四日ならまったく平気なのだが、さすがに半月以上、共有となると気を遣うのば目に見える。
でも良い下宿だった。
訊けば、中長期滞在でなくとも、短い期間での宿泊も大歓迎だとのこと。
ここも新しい宿にできるということだ。
まあ、一人旅限定ではあるが。
で、ここに泊まる前、実はある場所まで前泊してた。
この時に利用した飛行機は深夜、桃園国際空港到着便だった。
深夜22時に入国したとして、台北市内に向かうとなると色々あって0時近くになってしまう。
前述の下宿に入るとしても、大家さんに迷惑をかけてしまう(「問題ないよ」とメールがあったが、我輩としてはさすがにご迷惑はおかけしたくない)。
ならば、空港近くで泊まろう。
いつものサイトで検索すると、空港近くにノボテルがあるが、値段が既に範疇外(プチ貧乏旅行原理主義者として許さん)。
MRT沿線に何件かあるが…おお、終点の環北駅前に一軒あるな。
で、予約して当日チェックイン。
23時前で、街中を少し歩きたかったが、あまり人通りがなかったのでコンビニ弁当を買ってその晩は早々に寝た。
翌朝、窓のカーテンを全開。
...あれ?
なんかすごく、どっかで観たような光景が広がってるんだけど?
なんだろ。
昔の三鷹駅界隈?あるいは武蔵境駅北口?
大学時代、三鷹駅からバスで通ってたけど、こんな感じだったよな。
再開発とかでゴタゴタがあったが、今では立川のように立体歩道橋とかが入り組んでつまらない街並みになってる。
あの頃は、南口駅前に本屋があって、二階はクラシック音楽喫茶店があって、そうそう、あのビルがそれになんとなく似てる。
台北市は再開発が進んでおり、昔ながらの光景が消えつつある。
前述の下町情緒のある区域も、いずれ消えてしまうかもしれない。
だが、台北市に拘らなくても、こういう風景が残っているんだな、桃園市には。
けっこう豪華だったホテルの朝食をとって、台湾国鉄の中壢駅までバス。
道行く光景もまた、気取ったところはなく、懐かしささえ感じさせるものがあった。
真新しいコンビニの隣には、昔ながらの八百屋がある。
開店準備を進めている自助餐の隣では、宝くじ売り場で老人たちがいつものようにたむろしている。
日本人の名前を冠した豆腐屋は繁盛しているようだし、消防署の中で署員たちがホースを干してる前で、小豆餅の屋台が仕込みをしてた。
悪くない、と素直に思ったが、桃園市はあまりにも学校から遠く、通いきれないから候補には入れていなかった。
が、台北市市内に拘る必要がない。
いや、さっきも書いたように、徹底的に学ぶのであれば、やはりこういう場所でなければならない。
自分を追い込むためではない。
空気そのものが語学勉強に有用なのだ。
覚えた単語や文法を、これらの街中で使ってこそ身につく。
間違って当然だ。言ってはならない言葉に気を付けてればよい。
一泊だけの、桃園市のほんの端っこだけの旅行であったが、ここも良い場所であるな…そう思った。
臺灣の友人知人曰く、市内に昔の日本の神社が残されていて(祀られてるものは、国民党所属の戦死者だから慰霊社みたいなものか)、最近日本の宮大工に依頼して大改装されて名所になってるそうな。
他にも富岡老街等、見どころが多いとのこと。
生活費は?…と訊けば、少なくとも台北市よりは安いよ。そりゃそうだ。
ただ、原付とかの足を別に持ったほうが良いとのことだが、さすがにそこまでの度胸は我輩にはあまりない。
【台湾】桃園市長「皆さんがこんなにも台湾のパイナップルを応援してくれていることに感動しています」
市内のはずれにパイナップルの生産地があるのだろうか。入ったら一人3個、買う義務があるぞw
台湾の親友より、東京で開催されてる台湾イラストレータKCNこと、呉旭曜先生初個展「帝国の曙」のご案内があり、ギリギリ鑑賞することができた。定期精密検査の後、地下鉄を乗り継ぎ、道に迷いながら(てか、新橋駅、再開発しすぎw)やっとのこと到着。
時間が時間だけに、鑑賞者は我輩一人であった。
感想?
感想…ねえ。
感想を言う資格が我輩にあるのかどうか…
我輩の狭い感覚から大きく飛躍した、背筋がぞくぞくする表現の数々に、どういう賞賛の言葉を並べたら良いというのだろうか。
飾られた絵の一つ一つが、台湾人、そして日本人に対する呼びかけ、いや、慟哭にも似たような叫びが飛び出てくるかのようだ。
呉先生のテーマは、国民党政権によって徹底的に破壊され否定され隠ぺいされた日本統治時代を掘り起こして、独自の世界観でそれを狂おしいまでの深みのある色彩とファンタジーをもって、憧憬として訴えることにある。
我輩自身、台湾の統治時代を完全なパラダイスだとはこれぽっちも考えていない。ただ良きも悪しきも全ても含めて、”あの頃”を鬼才と言える表現力で、キャンバスいっぱいに描きつくそうという気魄に、ただただ脱帽するしかない。
日本に対する過大評価された憧れ、幻想と言うこともできるかもしれない。
だが、数年前に台北で観た「KANO」で感じられた、台湾人の日本に対する「堂々としなさい」という励ましは、同じように台湾人自身に対しても、日本と同じように、世界に対して「堂々としなさい」という訴えと同じくするものであり、日本統治時代を一種の「原風景」としての幻想を通して、独立した台湾人としての誇りを呼び起こすものに連なっている。
その証拠に、描かれているのは日本人だけではない。
統治時代に活躍した多くの台湾人も描かれている。蔡阿信、陳澄波などが、多くの郷愁と共に描かれている。
女媧伏羲を彷彿させる日本と台湾をイメージした姉妹絵には、背筋がゾクっとした。
一方のみを偏愛するのではなく、台湾がまずあり、台湾の中に日本があり、日本がまずあり、日本の中に台湾があり…それを狂おしいフェテシズムの世界の中に、鑑賞者を誘うのだ。
そしてそのフェテシズム溢れる幻想は、エロティックではあるが決して劣情をもよおすソレとは全く違う。
親とはぐれ、泣いて母を求める童…その童の名前を懸命に呼び、必死に探そうとする母…理屈を超えた、離れようにも離れられない「何か」への「愛」…呉先生は描き、これからも描こうとしている。
そして現実に、共に見つけ、共に抱きしめた時こそ、呉先生の作品は完成される。
彼の絵は、東アジアへの「預言」なのだ。