ぼんのう

ブルガダ症候群で一級障害者。人生、楽しもうよ♪

死者が親友となる時

2017.09.24 Sunday 21:05
0

    JUGEMテーマ:映画

     

    1987年に亡くなった神話学者の大家、ジョーゼフ・キャンベル。

    彼が死の前年まで、ジャーナリストのビル・モイヤーズとの対談を通して、神話とは何か、神話に登場する人物たちとはどういうものなのか、神話が現代人に対して問いかけるものは何か、そしてその力とは何かについて述べるドキュメンタリーがあり、死後、一冊の本にまとめられた。

     

     

     

     

    神話をその通りに信じることは21世紀において不可能であるし、神話の一言一句を狂信的に信じることは、人間が動物と峻厳に分け隔つ理性に背くことだ。

    だがその中で詠われる物語を通して、人間としてどのように生きるか、決断に迫られた場合に何をすべきかについての力を得ることができる。

    キャンベル氏はこう述べた:

     

    We have not even to risk the adventure alone for the heroes of all time have gone before us.

    The labyrinth is thoroughly known ... we have only to follow the thread of the hero path.

    And where we had thought to find an abomination we shall find a God.

    And where we had thought to slay another we shall slay ourselves.

    Where we had thought to travel outwards we shall come to the center of our own existence.

    And where we had thought to be alone we shall be with all the world.

     

    我々は一人で冒険の危機に臆することはない。なぜなら英雄たちが、既に我々の先を行き、道筋を作ってくれたからだ。

    迷宮の道順は皆に示されている…我々はただ、彼らの通った道を歩めば良いだけなのだ。

    忌まわしきことを見出せねばならない時、我々は神を見出さねばならない。

    他者を打倒せねばと考える時、自己犠牲の心が生まれる。

    遠く離れて旅立つ時こそ、我々は世界の中心にいることを知る。

    そして孤独に苛まれている時こそ、世界は我々と共にあるのだ。

     

     

     

    神話に限らず、歴史、伝説、伝承、小説でもよい、童話も素敵かもしれない…それらの生きていない存在、極言すればそこに登場する「死者」達を知り、学び、真似をし、対話をするようになり、心の底からたとえ空想の存在であったとしても、親友だと思えば、人生は随分と楽で、美しく楽しいものではなかろうか。

    ただ行ったきりではただの引きこもり、現実と向き合えない臆病者になってしまう。

     

    こちらは有名であろう、ミヒャエル・エンデ。童話作家。映画でも知られているから、あえて説明はしない。

    映画でのイメージばかりが先行して、原作を読まないと理解できない「果てしない物語」。

    主人公バスチアンがアトレーユ等のキャラクターを通して、ファンタージェンを救うという話についても割愛。

    とはいえ、原作と映画はかなり違うので原作に絞りたい。

    前半ではファンタージェンを救い、後半ではバスチアンがその世界から出られなくなる(というか、バスチアン自身が出たくない)というものである。

    ファンタジーの世界に没入し、自分をその世界の中で違う個性として存在し、他のキャラクターたちを通して生きることは悪いことではないが、しかし、そこから出て、再び現実に帰ることにこそ、本当の勇気が必要であることが描かれている。

    ファンタジーの世界、神話、伝説、歴史…それらに自分を置き、会話し、冒険することは、過去の自分を浄化することを意味する。そして、浄化して帰ることで「明日から何もかもが変わる」のだ。

     

    「果てしない物語」のファンタージェンは、実在しないもの。

    神話や伝承、歴史の(たとえ史実と違うものであっても)英雄たちは、既に死んでいるもの。

    だが、彼らと「親友」になることで、我々は再び、現実社会に帰ることができる。

     

     

     

     

    だからこの映画を観終わった時に、奇妙な既視感を抱いた。

    制作者の意図は全く違うものかもしれない。

    映画評論家は、感動的なコメディと絶賛している。

    だが我輩としては、これこそ21世紀の形での、神話とそっくりではないかと感じた。

     

    主人公は死体と巡り合う。

    現実では、ただの死体で、何の役にも立たない。

    だが、あらゆる困難な状況に際して、助けてくれる(「道筋を作って」くれてるともいえるかもしれない)。

    死体がしゃべりはじめると、半分以上がシモネタであるがw…それでも、死と生の境界線はどんなにあいまいなことかを気付かせてくれる。

    主人公は日常の(現実の)世界から逃げ回ってた。

    だが、死体に対して、生きることの素晴らしさを伝えることで、日常の(現実の)何気ない世界から逃げず、素晴らしいと感じるようになる。

     

    この映画では、主人公は無二の親友となった死体と共に、神話の中を歩いたのだ。

    そして、現実の世界に戻った時、そこから主人公は多くの目撃者と共に、新しく生きようと歩みを始める。

     

     

     

    死者と親友になる時、生きることに深刻になってた自分があまりにも滑稽であることに、気づかせてくれる。

    - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

    【備忘】台湾ファミマから日本ファミマ 店舗間配送サービス

    2017.09.22 Friday 11:36
    0

      JUGEMテーマ:台湾

       

      ファミマ、日台で店舗間配送サービス開始 まずは台湾発送・日本受取から

       

       

      ..........(゚∀゚)..........  (以下、転載)

       

       

       

       

      拝復 平素は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございます。


       さて、この度お送り頂きました、私どもファミリーマートの「国際コンビニ配送サービス」に関するお問合せを拝見いたしました。こちらは、台湾のファミリーマート店舗でお預かりした荷物を日本国内のファミリーマート店舗で受け取ることができるサービスです。ご利用手順としましては下記の通りです。

       


      <国際コンビニ配送サービス>
      ●ご利用の流れ
      ‖耋僖侫.潺蝓璽沺璽氾絞泙離泪襯船瓮妊ア端末「Famiポート」で、
       Eメールなど必要情報と、受け取りたい日本国内のファミリーマート
       店舗を入力し、レジで荷物と配送料金をお預けいただきます。


      登録したEメールに「店頭受取番号」「暗証番号」「店舗への荷物
       到着予定日」送信されます。(台湾から日本国内まで4〜6日程度)


      F本のファミリーマート店舗の「Famiポート」で「店頭受取番号」
       等を入力し、レジで荷物を受け取ります。

       また、弊社海外担当部署へ確認致しましたところ、現時点では上記
      サービスの日本語説明サイトのご用意はございませんが検討いたし
      おり、今後開設する予定でございます。

       なお、現地台湾のファミリーマートにございますFamiポートにて、
      日本語での画面表示を選択頂くことが可能でございます。
       以下に手順をご説明致しますのでご参考にして頂ければ幸いです。

      <国際コンビニ配送サービス>
      ●台湾ファミリーマートにあるFamiポートでの日本語選択方法
      (1)FamiポートTOP画面より『服務寄件』を選択
      (2)『海外店到店』を選択
      (3)『海外店到店寄件査詢』を選択
      (4)『日本店到店寄件』を選択
      (5)「中文・日本語」の選択画面が表示されるので、
        『日本語』の方を選択

       以上、お客様へのご返事とさせていただきます。

       最後に、お客様のますますのご健勝をお祈り申し上げ、書中にて
      ご挨拶させて頂きます。
                                 敬 具

      ******************************

       株式会社ファミリーマート お客様相談室

       

       

       

       

      とのこと。

       

       

      フォ━━ヽ(゚ω゚)ノ━━!!

       

       

       

      郵便EMSを活用したものだから、色々と制限があったり、送料は比較的高いけど、それでもこれはありがたいいいいい!!!

       

      ありがたい理由その1 : 郵便局まで出向く必要がない。台北の定宿から微妙に遠い…。

      ありがたい理由その2 : ファミマだから24時間依頼できる。帰国前日の深夜でもできるということになる。

      ありがたい理由その3 : (たぶん)インヴォイスを別途用意する必要がない(これ、結構めんどい)。

      ありがたい理由その4 : コンビニで箱が販売されてる(あれ?セブンイレブンだけだっけ?その場合、隣のセブイレで)。

      ありがたい理由その5 : 送料が足りなければ、店内のATMで引き出し(郵便局にもあるけど、設置場所が「?」)。

       

      EMSだから前述の通り、やや高いということと、意外のファミマの店舗が台湾では少ないというのがデメリットとしてあるが、それにしてもこんな素晴らしいサービス、もっと広まってほしいものであるよ。

      空港でパンフとかファミマ店舗で配布してくれたらいいのにな(成田空港にあるぞw)。

      帰りはコーヒー豆とかお茶とか、積み重なれば結構な重さになるんだよ。

       

       

       

      よし、来年2月!(今年は結局、行けそうにない…)

      - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

      青稲の夢

      2017.09.17 Sunday 23:20
      0

        JUGEMテーマ:東北の旅

         

        前後して申し訳ない。

        1215年前、蝦夷と呼ばれる地域の酋長が反乱の末、今日処刑された。

        名はアテルイ。

        腹心のモレと共に、今の大阪のどこかで刑場の露と消えた。

        先月の東北旅行で、「続日本紀」等のわずかしか登場しないその人物について、少しばかり触れておきたいと奥州市埋蔵文化財調査センター等を回ったが、ピンと来るものが残念ながらなかった。

        個人的にその作風のゴテゴテ感故、好きになれない高橋克彦氏の「炎立つ」が、霞の中で慄然として立ち上がる怒れるアテルイの姿を面白おかしく登場させたことと、それが大河ドラマ化されたことで、この一帯の観光の目玉となり、漫画や演劇などで「中央に反抗する英雄」という姿を作り上げ、岩手県において時々見受けられる独特なルサンチマンを代弁する存在として成立していった。

         

        だから、売国奴汚沢を未だに持ち上げているのであろうか…ま、今回はその話ではない。

         

        史実では、朝廷軍との戦いは確かにあった。

        しかし前述の「続日本紀」、そして「日本紀略」では北上川での戦いだけが取り上げられ、15年後、唐突に降伏したとされてる。

        戦はその間、何もなかったのか?

        全く不明のままだ。

        アテルイは500人の部下と共に、坂上田村麻呂の下で剣を置いた。

        ゲリラ戦であれば、まだ十分に戦える数であったとも思える。

        だがそれ以上は続けることはしなかった。

         

        作家や漫画家などは、矢が尽いたからと、最後まで絶望的な戦いから逃れなかった英雄を夢想した。

        坂上田村麻呂がアテルイの助命を強く願ったのは、戦場で刃を交えた末から生まれた奇妙な友情からだと、安直な結論に結び付けたいと思うのはたやすい。

         

        オカルトなものとなると、アテルイは縄文の文化を守る最後の守護者だった。大和朝廷がもたらす弥生文化、稲作文化への抵抗を試みたというのもあったりするが、最近の研究でそれは完全な間違いだと判明されている。

        実際のところ、発掘された稲穂のDNAなどを調べると、アテルイが戦っていたとされる8〜9世紀には、東北全体で稲作が行われていた。稲作を否定し、森の恵みに感謝し、自由な狩りをしていたという縄文的なイメージは、ただ諏訪一帯だけが最後まで残っていたのが事実である。

         

        また多くの蝦夷が、地方に置かれた朝廷の国府に仕えていたという記録もある。

        朝廷文化を学び、朝廷に仕える役人としての教育を受け、実績を積み上げ、やがて同化するという自然の流れがあった。

        が、中には何かの理由で殺人を犯しを、逃亡してそのまま行方をくらますという事件もあった(おそらく、元の”生活”に戻っただけかもしれまい)。逆にそれが珍しい例であるからこそ、事件として記録されるわけであるとも思える。大きな反乱につながった殺人事件は今のところ判明されていない。

         

        経済的独立を失われることへの抵抗から、アテルイは戦った…これも眉唾だ。

        陸路ではなく、海路による交易網が発達し、太平洋側、日本海側共に、東北地方のあちらこちらに貿易の拠点があった。

        無論、今とは違う仕組みではあるが、経済的に鎖国することは不可能であった。昆布や毛皮、馬や羽毛は京において大人気の品であったし、京での鉄製品や織物は蝦夷の豪族にとってはステータスシンボルであった。取引を拒む理由はどこにもない。逆にアテルイが妨害などしたら、降伏する前に他の酋長達によって殺されるのがオチだ。

         

         

         

        前述のセンターでは、日本書紀(景行天皇27年2月27日条)の中で、東北地方調査を行った武内宿禰の上奏が発端だというビデオを流してた。

         

        東の夷の中に、日高見国有り。

        その国の人、男女並に椎結け身を文けて、人となり勇みこわし。

        是をすべて蝦夷という。

        土地沃壌えてひろし。撃ちて取りつべし。

         

        ここから、日本武尊の伝説が始まったのだが、その流れからアテルイは立ち上がった…というのは、どうにも解せない。

        景行天皇が仮に実在していたとしたら、4世紀から5世紀頃に、日本武尊の蝦夷討伐が始まったということになる。

        いきなり、大和朝廷の軍がやってきて、服従しろと命じたから、反乱を起こしたというのは無理すぎる。

        それに7世紀には既に、蝦夷が大和朝廷まで朝貢をしてた記録が「日本書紀」にあるし、国府に仕えてた蝦夷の豪族も多かった

        コミュニケーション不足?

        800年近くも交流してて、それが不足してたというのであれば、アテルイは現代風に言えば「コミュ障」になってしまう。降伏に際して、500名の部下がそれでもなお付き従ってたのであれば、ことは矛盾する。

        センターが「撃ちて取りつべし」をいきなり出したことには、何か悪意を感じさせてしまう。

         

         

         

        稲作は既に定着し、交易も栄え、大和朝廷との関係が着実に構築されていく中で、何がアテルイに剣を持たせたのだろうか。

        この一帯では、何かしらの大義を持たせようと懸命に想像を働かせて、英雄たらしめんと試みている。

        それは悪いことではない。

        以前日記に、「神話」を持たない民族、国家は滅ぼやすいと書いた記憶があるが、架空であれ、そこに「ここの人たちは、このように生きるべきだ」「困難なことに面した際、神話や伝承での英雄はこう動いた」という「知恵」が、どうしても必要なものである。

        そして皮肉だが、アテルイについて詳細な記録がない故に、たとえ反乱を20年近く続けていた理由が実に下らないことであったとしても、史実でのアテルイとは全く違う「アテルイ」が生まれ、愛されていることは、きわめて幸福なことなのだ。

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

         

        青い稲は蒼天へと連なり、アテルイの夢はこの地方の人たちの夢と繋がっている。

        - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

        Remembrance

        2017.09.11 Monday 22:31
        0

          - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

          日本と日本人への一つのメッセージ

          2017.09.09 Saturday 19:52
          0

            JUGEMテーマ:映画

             

            戦史において、撤退戦はその困難さから、誰も率先してやりたがるものではなく、時として悲惨そのものであるが、その一方で、参加する人たち一人一人の能力、辛抱、経験、そして何よりも「助けなければ」という精神が綺麗に組みあがることで、劇的な成功を収めることとなる。

            日本であれば、キスカ撤退戦。

            英国であれば、ダイナモ作戦。

            あらゆる要素がうまく合致できたからこそ、「奇跡」だと称賛される。

            もっともこの二つの撤退戦は、やや違う状況にあるわけだが。

             

            前者はこれ以上負けを酷いものにしないために、現場を知り尽くした軍人をトップに据えて、優秀な海軍兵によって成功した。

            後者は負けではあるが、新たなる勝利をつかむために、国民全員が覚悟した上で、ある者は海に漕ぎ出し、ある者は空へと飛び立ち、多くは埠頭や駅で疲れた兵隊たちを暖かく迎えること、これらすべでを通して撤退が完了した。

            戦争はなるほど、プロではなければできないものである。

            しかしプロだけでは成しえない多くのこと…その最たるものは「慰め」「励まし」であり、民間でしかもはやできないことであるならば、それに「勇気」をもってこたえることが、彼らプロ、戦う人たちを支える「希望」になるのだ。

             

            そしてそれができる国民によって支えられている国は、どんなことに対しても「降伏はしない」のだ。

             

             

             

             

            この映画を観に行った。

             

            311の時に、自衛隊、消防、警察が動員された。

            来る911の時も、米全軍、州兵、警察、消防が必死に活動した。

            彼らを応援し、感謝し、支援する多くの国民がいた。

             

            ダイナモ作戦におけるダンケルク撤退戦で、可能な限りの民間船が敵の進撃が直ぐそこの海岸線まで到達し救出した。

            史実では、比較すると軍船よりは圧倒的に少ない数しか救出できなかったが、砲弾や敵爆撃機が飛び交う中で、丸腰のまま飛び込んでいったことへの勇気を考えよう。

            負けたと思ってた兵士たちが、故国の地を再び踏んだが、そこにあったのは感謝、応援、そして英雄達が帰還したことへの限りない抱擁だった。疲れ切ったプロ達に、限りない賛辞を与えることの喜びを思い出そう。

            映画の中で、目の見えない老人が帰還した兵隊たちに、毛布を懸命に渡すシーンがある。障碍者であっても、どんなことであれ何かをするということは、皆に大きな慰めになることを信じよう。

            そしてその撤退戦の後、下院で時の首相チャーチルが行った演説…

             

             

             

            We shall go on to the end.

            We shall fight in France,

            we shall fight on the seas and oceans,

            we shall fight with growing confidence and growing strength in the air,

            we shall defend our island, whatever the cost may be.

            We shall fight on the beaches,

            we shall fight on the landing grounds,

            we shall fight in the fields and in the streets,

            we shall fight in the hills;

             

            we shall never surrender.

             

             

             

            そう、”we shall never surrender”...どんなことに対しても「降伏はしない」とはどういうことを意味するのか、この映画を日本と日本人は想起する時が間近になった。中学校英語では、shallはwillと同じ内容だと教わったかもしれないが、実際は大きく違う。

            それは単なる未来形ではなく、確実な「予言」と同じ意味合いを持っている。

             

             

            我らは最後まで戦うのだ。

            我らは外国の地で戦うのだ。

            我らはあらゆる海で戦うのだ。

            日々大きくなる自信と力をもって空で戦うのだ。

            我々はこの島を守る、どんな犠牲を払おうとも。

            我々は海岸で戦うのだ、

            水際でも戦うのだ。

            野においても、街中においても、

            丘においても戦うのだ。

             

            我々は決して降伏はしないのだ。

             

             

             

            一人一人がこの心構えを持つこと。我らは既に、311の時に経験し、乗り越えた。我々は決して降伏はしないのだ、と。

             

            - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

            血の臭い無き浄土

            2017.08.25 Friday 18:01
            0

              JUGEMテーマ:東北の旅

               

              うかつだった。

              噂には聞いてたが、金色堂までの参道がこれほど急な坂だったとは。

              早朝の大雨で地面がややぬかるみ、買ったばかりの靴からややジメっとしてくる。

               

              それにしても、多くのお堂があって、一つ一つを巡りながら登るのが楽しい。

              弁慶に関係するお堂。

              眼病を癒すお堂は、参拝客で溢れてた。

              逆に閑散としてたお堂には、不思議な風格があり、自然と合掌をしたくなる。

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

               

              やっと見えてきた。

              金色堂。

              マルコポーロが勘違いした、黄金の国ジパングのシンボル。

              堂内は写真撮影一切禁止であるので、外観しか写真がない。

               

              空調が効いており、薄暗さとともに心地よい空気が流れている。

              中では僧侶が一名、汗をダラダラ垂らしながら勤行をしているが、気温設定が違うのだろうか…ああ、あの袈裟では、暑いわなw

               

              史実やら小説やらで、かなりゴタマゼな知識が行ったり来たりしている。

              奥州に独立した国家を作ろうとしたとか、いや単に京都以上に栄華ある都市を作ろうとしてたとか、財力をものを言わせて朝廷に対抗しようとしたとか、まあ色々あるだろう。

              義経が亡命した時、遺言通りに大将とし、鎌倉に対抗したのであれば、歴史は果たしてどうなってたのかという空想ロマンも悪いものではない…よく、「歴史にIFを求めるな」という言葉が聞かれるが、学術からすれば是であろう。しかし、ファンタジーを求める人に対して、これほどの暴言はないし、我輩個人、どんな人にあっても備わっている想像力、イマジネーションを否定する暴言であり、怒りしかわいてこない。

              これを悪用している人間は、人生を豊かにする力を否定するサイコパスだと考えている。最近、それについて、確信に変わった出来事があってな…まあ、それは別の話。

               

               

               

              それにしても、見事なまでの、黄金の光。

              浄土もかくや、か。

              奥州藤原滅亡後、頼朝は破壊することなく、統治もこの地の人々に委ねた。

              遠いから?

              それが一番の理由であろう。

               

              ただふと思ったのは、浄土を浄土のまま、そってしておきたかったのではないかと、そんな感じがする。

               

               

               

              長い歴史を持つ京都は、しかしながら歴史を知ると、あまりにも血なまぐさい場所であることがわかる。

              百数十年前まで、河原のあちらこちらに、暗殺された人の頭が放り置かれてたくらいだ。

              我輩自身、実は京都が日本の中で、嫌いな街だ。

              市営バスの運転手の糞っぷりはさることながら、どうにも歩くと、背筋に嫌な感触があり、落ち着いて歩けられるような感じがしない。

              ガイドブックにもない、小さな曲がり角に立っていると、ぞわぞわする何かを感じてしまうのが京都なのだ。

              住人の慇懃無礼さにも、観光を楽しませてくれない。

              あるのは、街全体が、何かに怯えてる空気…それが京都なのだ。

              その理解できない怯えを、客である我輩に押し付けてくるな。

              浄土に憧れる寺院を多数建てたところで、外に出れば霧散してしまい、しらけてしまう。

               

              新しい都としての鎌倉は、血だらけの手で築かれた場所だ。

              わずかなことでも、法の前に武が問われる。諸法度を発布したところで、離れれば力がすべての解決手段となる。

              どうあっても、地獄行き。

              天台宗において、そんな修羅から救い出す浄土の思想が示され始めたが、法然がまだ世にない時代、多くの上人に頼り、恐怖から逃れるしかなかった。

              鎌倉を新しい武士の中心地にした。

              しかし、そこは血によって築かれた所でしかなかった。

               

               

               

              「吾妻鏡」によると奥州藤原を滅ぼした後、この地域で頼朝がまず目撃したのが、灰燼に帰した平泉であった。

              中宮寺、毛越寺など仏閣を参拝し、残された奥州仏教に深く感銘したという。

              そして御家人に治安を一任する一方、国務については亡き藤原のままにと命じて、鎌倉へ帰ったという。

               

              やろうと思えば、すべてを焼き尽くすことはできた。

              義経への憎しみからすれば、庇った奥州藤原への報復を考えれば、それくらいたやすくできた。

              平泉は焼き払われて、その続きとしてなら、可能であった。

              だが、頼朝はしなかった。

               

               

               

              血の臭いが一切しない現世の浄土を、ここで初めて知ったからではないか…そう思えてならない。

               

              - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

              毛越寺という「絵」

              2017.08.25 Friday 15:28
              0

                JUGEMテーマ:東北の旅

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                キャンペーン価格で、いつもより2割ほど安くレンタカー。

                我輩の前後に、これまたサラリーマンが借りる手続きをしてた。

                なんで我輩の世代って、こうも店の人に対して無礼な言動をするんだろうなあ…。

                ま、それはともかく、右ハンドルだ(台湾でのレンタカー話は、同人誌をお読みくださいw)。

                オートマだ(愛車の「雪風」はマニュアル。だから安く買えたんだけどね)。

                ハンドルのところにあるボタンとかで、カーナビ操作ができる純正もの…ブルジョワな(チガ)。

                 

                近くの市場に併設されている喫茶店で食事を…と思ったが、泊まったホテルの朝食が予想より量が多かったので、そのまま毛越寺。

                この一関って街、結構一方通行が多く、カーナビの通りに走ったらグネグネとまあ…おかしなルートばかり走らせやがって。

                でも無事に到着。

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                ほお…何とも落ち着いた雰囲気でいいね。

                確かに、1989年に再建…新しさが感じられるのは仕方ないか。

                でもここは、建物ではなく、こちらが有名だったっけ…

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                 

                ふおおおお!

                 

                これはすごい…。

                江戸時代は廃寺一歩手前の状況で、周囲は田んぼになってたが、発掘調査などから奥州藤原の栄華が証明され、その功績の一つがこの「大泉が池」…写真や映像では伝えられない。

                伝えることができると言う人間を、我輩は信用することができない。

                ここに立たなければ、それほど大きいはずでもないが、雄大さを錯覚するその不思議な構造に、感動を抑えられることはできない。

                 

                周囲を歩く。

                どこに立っても、そこには「絵」が存在するのだ。

                礎石しかない廃寺跡も、そこから見える池の光景も、「絵」が浮かび上がるように設計されていることに驚いた。

                感動して、ここでは多くの写真を撮った。

                しかしそれらを多く残したとしても、不可解なことにその感じられた「絵」が再現できないのだ。

                PCモニターに一枚一枚表示しても、毛越寺、大泉が池、そしてそれら全体の風景の中に感じられたものが浮かび上がってこない。

                 

                ここは写真や映像に頼る場所ではなかったのだ。

                ごくたまに、国内でも海外でも、また場所に限らずたとえば芸術作品でも、そういう現象を強く個人に突き出してくる場所やコンテンツが存在する。

                ここもそうなのだ。

                浄土のイメージを体験できる場所として、奥州藤原氏の精魂が、たとえ復元されたものであったとしても感じられる。

                今でいえば、VRエンタテインメントのようなものか。

                それにしても、この清浄さはなんと心地よいものだろうか。

                風は涼しく、快晴。

                早朝までの嵐が嘘のようだ。

                地面から上がってくるほのかな湿気が、「絵」の中に土の香りを含ませてくれる。

                 

                 

                 

                雪降る季節にも、来てみたいものだ。

                - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                一関の夜

                2017.08.23 Wednesday 23:03
                0

                  JUGEMテーマ:東北の旅

                   

                  しばらく、こんなテーマで日記を書きのこしておきたい。

                  昨日から仙台近くにある会社の開発事業部(工場にも見えるが、意地でも「R&Dセンター」だと重役たちが言ってるから、そうするか)で、社員教育の運営の準備を行い、今日はその本番。

                  糞としか思えない社員が発言できない席順にしたのが当たった…コツは簡単、知己のない”強い”社員と同じテーブルにつかせることだ。ハラスメント大好き人間はサイコパスなので、”奴隷”にしている社員と一緒でなければ、何もできないということを、経験から知ってるのでねえ、こちとら。

                   

                  仙台に一泊した。

                  この街は、やはり大きな立川だ。

                  ずんだ餅を食べるインデックス(「とある」シリーズのナントカさんね)が出てきても、馴染んでしまうそんな所だ。

                  悪い街ではない。

                  食べる店も多く、物価もそれほど高くない。

                  駅前にはオタショップがなぜか多数軒を連ねているが、その下には市場があったりと、なかなか興味深い顔を持っていたりする。

                  郊外からバスよりも自家用車で乗り付けるから、周辺にも駐車場が多数ある。

                  冬の寒さだけは想像できない。

                  それにもまして、仙台市は住む場所ではない。あんな市長を選ぶようでは、お先が知れる。

                   

                  研修運営を終わらせて後片付けを済ませ、新幹線に乗って一関駅まで。

                  何故か…夏休みが1日残ってたので、これを使って平泉、胆沢、そして花巻まで行こうと思った。

                  マルコポーロが誤って伝えた「ジパング」である平泉は、世界遺産となってまだ浅い。金色堂を是非とも観たい。

                  胆沢については、蝦夷、アテルイの話から興味を以前から抱いていた。高橋克彦氏…岩手県で生まれ育ったこの小説家の影響は計り知れないものがある。ただ、史実でのアテルイと坂上田村麻呂の争いは、娯楽小説で脚色されすぎてるから、我輩はどうしてもこの人の作風が好きになれないのだが、華やかなファンタジーは時として本物の伝説、神話へと変貌するものだ。「三國志」なんぞ、その良い例だ。何せ「三国志演義」が史実だと信じてる人が圧倒的に多いからな。

                   

                  そして花巻。

                  同じファンタジーであっても、宮沢賢治先生の大地に今まで行かなかったのは、何故なのかわからない。

                   

                   

                   

                  本来であれば、仙台にもう一泊する予定であったが、一関に移動したのには2つ理由があった。

                  一つはレンタカー。

                  旅行をするのに、車を借りることがすっかり我輩の定番となってしまい、今回もそうすることにした。

                  「高い」と思われるかもしれないが、実はそうでもない。

                  公共交通が整った地域であれば、駐車場や道路混雑などのリスクがあり、あまり勧めるものではない。

                  だが、一時間に1本しかバスが通らない場所とかとなると、逆に「見えない出費」が発生する。

                  待つ間に、たとえばお土産屋に入る、喫茶店とか食堂に入る、結果として財布が軽くなってしまうのだ。

                  何よりも時間がどんどん消費してしまう。

                  レンタカーであれば、自分の都合で移動できるし、暇つぶしとして店とかに入ることもない。

                  だから今回の旅は、どうしても車が必要だったのだ。

                  何よりも天候が変わりやすい。雨宿り先を探すよりも、社内で次の場所まで移動するのが良いというものだ。

                  そして県内であれば、乗り捨て料金がかからない。

                  仙台は宮城県。

                  廻ろうとする場所はみんな岩手県。

                  盛岡まで行って乗り捨てようと計画してたので、オフィスのある一関まで移動しなければならなかった。

                   

                  そしてもう一つの理由は、一関という場所だった。

                  何の場所であるのか、皆目見当がつかない…だからこそ行ってみたいと思った。

                   

                   

                   

                  新幹線のチケットを買い(障碍者割引の権利が得られる距離じゃなかったのが悔しいw 30分みどりの窓口で並ぶより、自販機で買えばよかった)、「牛タンストリート」で夕食を摂り(個人的に一番好きな店は「伊達の牛たん本舗」。特に塩が美味いし、よけいな小皿等が一切ないのが良い。てか、キュウリを出さないから一番好きなだけであるのだがw)、無事に乗車。

                  車内周囲を見ると、全員サラリーマンだ。

                  出張族なのか、単身赴任なのか…判然としない。

                  窓の外に目をやると、いろんな工場が見えてくる。

                  夜で暗くなっているが、看板は光り、影からそれとなくわかる。

                   

                  なるほど、この一帯は工場団地だったんだな。

                  ビジネス系のイベントとかでは、地方自治体が様々なアピールをして工場誘致しているが、東北新幹線はメリットを際立たせるための一つの手段だった。途中の駅からも、くたびれきったサラリーマンがぞろぞろ乗り込んでくる。

                  ちなみに我輩は、完全に旅行者の恰好。

                  浮いていたw

                   

                   

                   

                  それほど時間もかからず、一関駅に到着。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  ああ、そっか。玄関先だったんだな。

                  あまりにもあっけなく到着した。

                   

                  我輩と同じように、半数以上の乗客がぞろぞろと下りた。

                  やや涼しい空気が流れている。

                  暑い暑いと言いながらも、やはりここからは本格的な東北なんだな。

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                   

                  ホテルにチェックインして、グーグルマップで調べるとスーパーが近くにある。

                  地元産のものがないかと思い、直ぐに外出した。

                   

                  それにしても…

                  場末のスナックとか居酒屋ばかりが目に入る。

                  ラーメン屋も何軒かある。

                  中に入るつもりは毛頭ないが、それらの店を少し除くと、やはりなのかどうか…サラリーマンが佃煮にできるようにワンサカと溢れかえっていた。

                  居酒屋でも外に響くまでの大声で、仕事への愚痴が途切れることなく響いてきた。

                  ”いかにも”なスナックに、喜色満面の表情で入るサラリーマンを見かけたが、どう考えても若いホステスとかいるような感じがしない。

                   

                   

                   

                  そっか…一関は、そういう出張族のための街なのか。

                   

                   

                   

                  だから深夜までやってるラーメン屋が満員なのか。

                  居酒屋も繁盛し、家庭から冷たくされてる”お父さん”達を馴染みのママさんが迎え入れて慰めてくれるのか。

                  スーパーには、日常生活用品以上に、コンビニ並みにホテルの部屋中でビールを煽りながらつまめる総菜が多いのか。

                  逆に期待してたお土産にできそうな地場モノは皆無だったが。

                   

                  早く部屋に戻って、明日の準備でもしておこう。

                  長く、夜の一関を歩くものではない。

                  明日からドライブだから、酒をあまり体に残すべきではない。

                  そもそも、あの手のスナックに入るようになったら、人間として最低だ。

                  腹の中には、牛タン屋での大盛りご飯がズンと居座っている。

                  こういう感じで、市への税金が増えていくのであろうが、我輩としてはあまり貢献できそうにない所だ。

                   

                   

                   

                  ここの風は、堅気のサラリーマンにとって、わびしすぎる。

                  - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                  盗まない理由は別のところにあるのではと

                  2017.08.21 Monday 18:13
                  0

                    よく外国観光客などが、

                     

                    「日本で財布を落としたのに、返ってきた!日本の道徳、治安はすばらしい!」

                     

                    というのが聞こえる。

                    我輩自身も良く、外国の友人知人から似たようなことを訊かれる。

                    逆に海外でカメラとか財布とか無くしたら、絶対に戻ってこないということも理解している。

                     

                    しかし、ふと、思ったことがある。

                    そのままネコババする悪辣な連中も当然いる。

                    我輩自身も過去に自転車を盗まれたことがあったし、ゲーセンのプリベイトカード数千円分、目を離した隙に盗られたことがある。

                    「返ってきた!」と感動され、日本を良い国だと広めてくれることに悪い気持ちを抱かないが、なんか合点がいかない。

                    道徳云々ではない理由で、「返ってきた」のではないかと、なーんか思ったりする。

                     

                     

                     

                    ここからは我輩の勝手な想像だから、気を悪くしないでね。w

                     

                    数年前、タクシーに乗った際に、驚いたことに座席上、数万円ほどのお金が散らばっていた。

                    どれもしわくちゃで、一言でいえばかなり「ばっちい」状態の紙幣であった。

                    びっくりして運転手に尋ねたら、

                     

                     「ああ、もしかしたら前のお客さんが落としたのかもしれませんね」

                     

                    とのこと。

                    海外からの人(国籍不明)が、無造作にポケットから金を出して支払ったのだが、その際に数枚、落ちたのではないかとのこと。

                     

                    ただ、上にも書いたが、とにかく「ばっちい」のだ。

                     

                    しわくちゃで、謎のシミとか、明らかに触ってはいけない汚れとかがこびりついてた日本銀行券…どうやったら、ここまで汚くできるのかが不思議なほどであった。

                    国によっては、財布を使わないところもある。

                    治安上の問題もあるだろうが、長らく洗っていないズボンのポケットに紙幣以外の何を入れたらこうなるものなのか…。

                     

                    無論、運転手に渡した。

                    前の客がおりたホテルまで行って、返すとのこと。

                    でも、その紙幣を渡した時、運転手が思わず呻いたのを聞き逃さなかった…。

                     

                     

                     

                    プチ貧乏の海外旅行を楽しむ身としても、同じような旅行をしている人たちの荷物を見ると、日本であればネコババするものではないな…という感じに「使い込まれた」のをよく見かける。

                    彼らの持ってるスマホとかを例にすれば、よく言えば「長い間の旅の仲間」、悪く言えば「プラスチックの画面さえも割れるくらいに使うって、どんな過酷な状況で旅をしてたんだ、おまえは」という感じ。

                    財布とかも、お金が入ってなかったら、そのまま燃えないゴミに捨てられてもおかしくない状況のものも、よく見かけた。

                    仮に開けて、お金が入っているのを分かったとしても、「ここまで窮しているのか」と、逆にお金を少し足して、交番に届けたい気持ちにもなるというのも、よく見かけた。

                     

                     

                     

                    「他者のモノを盗まない」というのは、道徳という概念以上に、「他者のモノ」=「穢れたモノ」があるのではないかと、ふと思った。

                    まあ、実際にバッチイのもあるが、落とし物があったら、それは「穢れたモノ」であるから、「手を出してはいけない」「自分のモノにしない」という気持ちが働くのではなかろうか。

                    逆にその「穢れたモノ」を盗むという人間は、「穢い人間」として軽蔑される。

                    考えてみたら、「ネコババ」という言葉も、要するに「猫の糞」…他に意味があるだろうが、そんな汚物を盗む行為に対する侮蔑の表現だったのだろうか。

                    「穢れたモノ」「汚物」を盗むまでに、浅ましい身分になったということへの軽蔑…そういう人間にならないように…という、裏側からの道徳律だったら、面白いかもしれない。

                     

                     

                     

                    こういうくだらないことを、グダグダ書くほどに、ちょっと今の会社の仕事に疑問を持っててなあ…。

                    - | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |

                    半分引退を考える

                    2017.08.13 Sunday 21:59
                    0

                      JUGEMテーマ:漫画/アニメ

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                       

                      コミケはやはり、いくつになっても楽しいものだ。

                      自分のバカ作品を、気軽にアピールする楽しさ。

                      それらを準備するまでの楽しさ。

                      なかなか会えない友人らと、ほぼ確実に会うことのできる楽しさ。

                      懐かしい漫画家と再会できる楽しさ。

                      かつてはそこは、「仕事」と繋がるところもあった。その頃は正直な話、別の楽しさらしいものがあったりしたが、今にして思えばとんだ勘違いであった。

                      アマチュアであること、その楽しさを実感させる場については市民権を得ており、このコミケはその最大なるものである。

                       

                       

                       

                      酔誤郎さん、お越しどもです、ツィッターへのつっこみ、楽しいです。

                      せいりゅさん、楽しい名刺、ありがとうございます。

                      KSさん、そうですね、今度はゆっくりいろいろと話を。

                      師匠、これからナニがくるんでしょうねえ。

                      F田君、荷物の中に、何か入っているかもしれないが、まあよろしく。w

                      その他多くの皆さんのお越し、本当にありがとうございました、こういう出会いの楽しさ、素晴らしさは大切にしたいものです。

                       

                       

                       

                      でも、正直な話、心臓が少しもたない状況になっている。

                      今日の暑さが堪えたというのが最大の原因だとは思いますが、狭心症の発作が数回起こり、こっそりとニトロ剤を舌下服用しましたが、それでもなかなかつらいところがあった。

                      混雑した通路で、一瞬、ホワイトアウトした。

                      倒れそうになったのは熱中症ではなく、軽い心室細動だったのかもしれない。少し意識を取り戻したところで、ICDが動き出したのを感じた。

                       

                      サークルは続けるが、次回からいつものように、デスクのところに居られるかどうかが未定だ。

                      ただ、アマチュアとして、漫画を描くという趣味は続けたいし、同人誌も出していきたい。

                      相方の鷹に負担をかけることになって申し訳ないが、サークル出展は続けていきたい。

                      夏の暑さ、冬の寒さから、心臓の負担を和らげることを、そろそろ真剣に考える時期になってきてるのは確かだ。

                       

                      まあ、本にするということでもないな。

                      ツィッターとかで、イタズラ描きを掲載しても良いわけだ。

                      馬鹿ネタは、黙っていても脳内で湧いてくる。

                      液晶タブもどしどし使っていきたい。以前、日記にも書いたが、「描くことの楽しさ」を思い出させてくれた。

                      人生はね、「楽しい」と思うことをやることだけでも、十分価値があるものだ。

                      我輩は既に、会社での仕事というのを、人生から切り離している。社内における嫌な人間関係については一切無視し、面倒な仕事は機械的に行い、定時に帰る。8時間提供しているのだから、残りは自分の人生を楽しむために使わせてもらおう。

                       

                       

                       

                      ふと思った…ボルト選手は、走ることに、人生の楽しさを見出してたのだろうか、と。

                      ブルガダ症候群とICD | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |